映像で栄の魅力発信プロジェクト!

本丸御殿復元図
華の名古屋の碁盤割
①江戸時代
②明治10年
③明治20年/30年代
④明治末期/大正
⑤昭和初頭
⑥昭和33年
⑦現在の碁盤割
⑧御園通
⑨広小路物語
⑩広告で見る四区時代
⑪名古屋鮓物語

昭和20年8月15日、日本は敗戦国となった。碁盤割を中心とした名古屋の旧市街地の50〜60%が焼失した。9月には進駐軍が到着。名古屋観光ホテルを接収し司令部を置いた。広小路通りに面した焼け残ったビルも、次々と米軍に接収されていった。戦後の復興を急ぐ名古屋市は、戦前に内務省名古屋土木出張所長を務めた田淵寿郎を招聘した。田淵寿郎のもと戦後の復興計画が立てられた。日本に3本ある100m道路のうちの2本(他1本は広島)久屋大通と若宮大通が建設された。久屋大通は中央分離帯にある公園も含めた幅員が約100メートル。中央部にあるグリーンベルト帯は公園として使用されている。
広小路沿線でも昭和27年(1952年)に丸栄百貨店、昭和29年(1954年)には栄町交差点南東角に オリエンタル中村百貨店が開業した。昭和29年6月、日本で最初に完成した集約電波塔である名古屋テレビ塔が久屋大通に竣工、栄地区のランドマークとしてまた戦後復興の象徴として市民の関心を集めた。
昭和32年(1957年)地下鉄が開通、地下街ができるまでは、広小路沿線には多くの映画館が軒を並べ広ぶらを楽しんだ。昭和31年には接収されていた、名古屋観光ホテルや 大和生命ビルなどおおくの建物が返還され、名古屋も本格的に高度成長へと向かってゆく。