明治40年(1907年)11月、愛知県は第十回関西府県連合共進会の誘致を決定した。開催に向けて名古屋中心部のインフラ整備がはじまった。まずは会場予定地の鶴舞公園の造成工事が開始された。碁盤割内でもさまざまな建設が行われた。いとう呉服店は焼失した名古屋市役所の跡地、栄町交差点南西角に茶屋町より移転し、株式会社いとう呉服店として開業。名古屋で初めての3階建ての近代的な百貨店として営業を始めた。日銀名古屋支店の東、広小路沿いに中央バザールという小売商人に売り場を賃貸する建物ができた。明治43年(1910年)、3月16日から6月13日の90日間の会期で関西府県連合共進会が、明治42年(1909年)名古屋市が設置した最初の公園として開園した鶴舞公園で開催された。おりしも名古屋開府300年の年にあたり、入場者数は263万を超えた。
大正3年(1914年)、辰野金吾博士の設計で名実ともに日本一の国技館、名古屋国技館が現丸の内小学校の場所に完成した。その後、経営も困難になり開館10年も経たず閉鎖された。大正10年(1921年)には、千種町、東山村、中村町、愛知町、常盤村、御器所村、呼続町、笠寺村、八幡村、荒子村、小碓町、六郷村、 清水町、杉村、金城村、枇杷島町の16町村が名古屋市に編入され、名古屋市の市域面積は東京市の2倍、人口は60万を超え東京・大阪につぐ 全国第3位の大都市になった。