アーカイブス

  • 2015年2月28日

    No.1- 桶狭間の戦い

    今川軍の丸根砦、鷲津砦に対する攻撃の報は、清洲城の信長の元にも知らされる。篭城か決戦かで動揺する織田軍の重臣たちに対して、それまで動じなかった信長は、幸若舞「敦盛」を舞った後 出陣の断を下して桶狭間へと向かう。御前8時ころに熱田神...

  • 2014年4月23日

    名古屋栄140年の変遷

    明治維新までは名古屋の政務は名古屋城で行われたいたため、名古屋城南側付近に官庁や商業施設がおかれました。明治19年(1887)に東海道線の名古屋停車場が笹島に開業、広小路が駅まで延伸されると、名古屋の中心が栄町地区に移ってゆきまし...

  • 2014年4月20日

    名古屋駅の120年の歩み

    明治16年(1883)、政府は東西両京を結ぶ幹線鉄道を中山道に建設することに決定しました。軍事的な理由により海岸線から離れた中山道に敷設する計画でした。中山道を走り大垣に抜ける、この案は名古屋にとって今後の発展に大きな支障をきたす...

  • 2013年12月27日

    尾張名所図会 東照宮祭山車曳き

    江戸時代を通じて、東照宮祭は亀王天王社(現在の那古野神社)の天王祭、若宮八幡社の若宮祭とならんで名古屋三大祭とされていた。なかでも東照宮祭は戦前まで、名古屋最大の祭りとして親しまれた。 江戸時代、三之丸の東照宮から本町通を下り...

  • 2013年1月19日

    映像で綴る名古屋の400年

    関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は、当時の尾張藩の藩都清洲から名古屋への遷府を計画、 実行した。来るべき豊臣家との決戦に備え、低地にあって水攻めに弱い清洲から名古屋台地の 上に新首府を築くべく町ごと移転「清洲越し」と呼ばれた。

  • 2012年9月6日

    小牧・長久手の戦い「尾張名所図会 長久手古戦場」

    天正10年(1582)から信長の子の織田信雄が尾張を領国とし、清須城を居城として尾張を 支配していたが、豊臣秀吉と対立し、小牧・長久手の合戦が起こる。 天正12年(1584)3月13日、豊臣秀吉軍は、犬山城を攻略して、清須を...

  • 2012年8月17日

    尾張名所図会と美濃路「清洲宿」

    慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、四男の松平忠吉を尾張藩の当主として清須に派遣し尾張の藩都とした。 松平忠吉は若くして世を去り、家康は九男の甲府藩主 徳川義直を尾張藩主として任命し清須に送った。 清須は五条川...

  • 2012年8月16日

    尾張名所図会と碁盤割「伝馬会所(本町通・美濃路)」

    碁盤割とは、徳川家康によって東西は久屋通から堀川、 南北は広小路から外堀通にいたる区域を京の碁盤割にならい 碁盤の目に区画された地域を指す。 家康は、ここを町人の住居とした。区画の中心の空き地には 寺院を配し住民の監視に当たらせた...

  • 2012年8月15日

    尾張名所図会と美濃路「南寺町」

    徳川家康は名古屋城下を防備するため 西、南、東に寺町を建設した。 堀切筋(のちの広小路)の南から橘町にいたる本町通(美濃路)沿いに 大小の寺院が建設され南からの敵の侵入に備えた。 現在の白川公園周辺には中小の寺院が密集して寺院群を...

  • 2012年8月15日

    尾張名所図会と美濃路「熱田宿から南寺町へ」

    美濃路の起点は名古屋市熱田区伝馬1丁目、東海道と分岐する追分に始まる。 東海道はここで南東方向に直角に折れ、七里の渡し場(神戸方面)に向かい、美濃路は北西方向に曲がり熱田神宮に至り名古屋城下へと続く。この追分の正面には、戦後まで上...