今須宿は人口1784人、家数464軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠13軒 美濃国と近江国の境の宿場
近江と美濃の国境から今須宿西入口へ
近江と美濃の国境を越えると、芭蕉句碑がある。 近江と美濃の国境は、この碑の東10mあまりにある細い溝。この溝を挟んで両国の 番所や旅籠があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」ので寝物語の名が 生まれたといわれている。寝物語「は中山道の古跡として名高く、古<歌にもこの名が 出ており、広重の浮世絵にもここが描かれている。
ここからJR東海道線を渡り 右手の丘の上にあるのが車返し地蔵。そこから200mほど進むと、今須宿の西の入口に さしかかる。
しばらく進むと今須神社の参道が右手に見える。参道を南に下り 名神高速道路の高架をくぐり、今須川に架かる橋を渡ると今須神社の境内に入る。 今須神社は、本殿は嘉永二年(1849)に再造された桧皮葺きの一間流造り。正面に 千鳥破風、向拝軒は唐破風という重厚な建築様式をもつ、貴重な建造物。 ふたたび中山道に戻り、左手に法善寺を見て今須宿の中心部へ入る。
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今須宿
今須宿に入り、真宗寺の前を過ぎると右手に常夜灯が立っている。 京都の問屋河地屋が、大名の荷物を紛失し金比羅様に願をかけたところ戻ってきた。 この常夜灯は、そのお礼に建てたといわれている。 宿の中心部にある問屋場は山崎家が勤め、美濃十六宿のうちで、当時のまま現存する貴重な遺産。
問屋場から200mほど行った右側に今須本陣・脇本陣跡の碑が立っている。 今須本陣は215坪の敷地を持ち伊藤家が勤めた。また、関ヶ原の戦いの翌日、佐和山城攻めに際して 家康が伊藤家の庭先で休息した折腰掛けたという石は、現在青坂神社境内に保存されている。 脇本陣は河内家がつとめた。今須本陣・脇本陣跡の前に妙応寺の参道が延びている。 妙応寺は、今須領主長江重景が創建した、岐阜県下で最も古い曹洞宗の寺院。 この先の川が、今須宿の東の入口。橋を越えて右手に一里塚跡を見て、国道21号線をまたぎ今須峠へ入る。
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