- INDEXへ
- 関ケ原合戦まつり
- 垂井曳やま祭
- 墨俣一夜城
- 水都大垣
- 薄墨桜と樽見鉄道
- 横蔵寺・華厳寺の紅葉
- 世界初!連柿100串に挑戦
- 長良川源流と白山への道
- 長良川鉄道で長良川を下る
- 郡上おどり
- うだつの上がる町並み
- 美濃和紙あかりアート展
- 関鍛冶伝承館
- 瑞浪市化石博物館
うだつの上がる町並み
慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の功により徳川家康からこの地を拝領した金森長近は、隠居城として長良川畔に小倉山城を築城。 城下町を整備した。長近は、長良川に上有知湊(こうずちみなと)を開き、経済の発展を目指した。
慶長16年、2代長光が幼少で死去上有知藩は廃藩となり小倉山城は廃城となった。新たに幕府の代官所が設けられ、行政的、経済的中心地としての役割を担った。
享保8年(1723)に大火が起こり、以後防火施設としてウダツを設ける町屋が増えた。 富の象徴として本ウダツを掲げる豪商の町屋が軒を連ね、現在でも色濃くその面影を残している。