映像で栄の魅力発信プロジェクト!

本丸御殿復元図
華の名古屋の碁盤割
①江戸時代
②明治10年
③明治20年/30年代
④明治末期/大正
⑤昭和初頭
⑥昭和33年
⑦現在の碁盤割
⑧御園通
⑨広小路物語
⑩広告で見る四区時代
⑪名古屋鮓物語

大正天皇が崩御され、年号は昭和に改められた。各地で天皇即位のを奉祝行事が行われ、広小路本町には凱旋門が作られた。昭和4年(1929年)昭和天皇の行幸に向けて、本町通りの整備が行われた。拡幅工事がおこなわれ幅員は14.5メートルとなった。舗装工事と架空線の地中化も行われ、御幸本町と呼ばれるようになった。昭和8年(1933年)、名古屋市役所が現在地に移転、昭和13年(1933年)、愛知県庁も市役所の南隣に移転。栄町は名古屋最大の娯楽街としての歩みを強めた。昭和時代初頭の広小路沿線には、愛知県庁、名古屋市役所、名古屋商工会議所などの公的機関や明治銀行、名古屋銀行、村瀬銀行、第百銀行支店、日本火災、愛国生命、三菱銀行支店、興業銀行支店、三井銀行支店、横浜正金銀行支店、不動貯金などの金融機関が軒を連ねていた。
昭和9年(1934年)、市の人口が100万人を突破。名古屋汎太平洋博覧会の開催が決まった。開催に向けてのインフラ整備が開始された。昭和9年、名古屋に国際級のホテルを造りたいと提唱し、名古屋財界が総力をあげて名古屋観光ホテルが開業した。名古屋駅も笹島から移転新築、桜通も名古屋駅から大通通まで開通した。大正14年(1925年)、いとう呉服店は南大津通の現在地に移転し松坂屋に改称。昭和12年(1937年)名古屋汎太平洋博覧会に合わせ、 木造だった北館を増設、全館の完成をみた。
昭和10年(1935年)、名古屋宝塚劇場が開館した。当初は宝塚少女歌劇などの実演と映画の上映の二本立てで興行した。昭和13年(1938年)、名宝会館が開館、映画の上映を開始した。