尾張名所図会

  • 2012年2月7日

    江戸時代の名古屋城下「医学館薬品会」

    尾張名所図会 医学館薬品倉。尾張藩の侍医を勤める浅井家は、医学館という医学塾をつくり医師の試験も行っていた。医学館では毎年六月十日に万国の物産や動物を公開し、多くの見物人が集まった。

  • 2012年2月2日

    江戸時代の名古屋城下「尾張津島天王祭 朝祭(本祭)」

    一夜明けての朝祭には、宵祭りとは飾り付けをガラリと変えた5艘の船に、朝祭りの主役である旧市江村の市江車を加えた6艘の車楽船(だんじりぶね)が 登場します。 車楽船の屋台上には能の演目を表現した人形が飾られます。宵祭に参加した5艘中...

  • 2012年2月2日

    江戸時代の名古屋城下「尾張津島天王祭 試楽(宵祭)」

    旧津島5ヶ村の今市場(いまいちば)、筏場(いかだば)、下構(しもがまえ)、堤下(とうげ)、米之座(こめのざ)から5艘のまきわら船が 出され 天王川に浮かびます。 まきわら船に飾り付けられる半円・山型の提灯の数は365個あり、提灯の...

  • 2012年2月2日

    尾張名所図会「甚目寺観音詣(あま市)」

    甚目寺観音のある辺りは、六世紀末の頃は海に面していた。西暦597年、伊勢国甚目村の漁師龍麿という者が尾張国の入り江で投網をしていたとき、金色の聖観音像を引き上げ、 入り江のかたわらに草堂を建て観音像を安置し、自らの姓氏をとり甚目寺...

  • 2012年2月2日

    江戸時代の名古屋城下「清須総図」

    尾張の守護職にあった斯波氏は鎌倉街道近くの下津で職にあたった。斯波義重は、応永12年(1405)清須の地に下津城の出城として清須(洲)城を築城した。 後年、下津城が焼失し守護所は、清須に移転され尾張の中心地となった1478年のこと...

  • 2011年12月8日

    お伊勢参りの道 参宮街道 伊勢市

    伊勢街道は江戸時代には東海道に次いで交通量が多いにぎやかな街道で、 多くの物資や情報も行き交い、途中、東海道や伊勢別街道、 伊賀街 道等、多くの街道が合流(分岐)するため、伊勢国の幹線道路として、 地元の人々にとっても重要...

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「有松絞り店」

    有松は、慶長13年(1608)に尾張藩により設置された。竹田庄九郎らによって誕生した有松絞りは、尾張藩の特産品として保護され東海道を往来する旅人により街道一の名産品とうたわれた。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「星崎塩田」

    江戸時代星崎・前浜では良質な塩が生産されていした。生産された塩は、塩付街道から足助を経由して信州方面に運ばれた。塩付街道の通る御器所村の沢庵漬はこの塩を利用して盛んになった。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「笠寺観音」

    天平時代(8世紀)に善光上人が建立した。甚目寺観音、荒子観音、竜泉寺観音とならび、尾張四観音の一つに数えられて名古屋城を守護する役割もになっていた。

  • 2011年12月5日

    江戸時代の名古屋城下「呼続浜」

    松尾芭蕉が記した「寝覚めの里よびつぎ」は、宮宿から渡し舟の出航を知らせる声が人から人へ呼びついがれたことから 呼続となったと言われている。