大正時代
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2012年4月5日
明治4年(1871)に広小路本町の東南角に名古屋郵便局が開設された。明治20年(1887)に名古屋郵便局の建物は大垣の郵便局として移築される。 名古屋郵便局は、栄町に新しい庁舎を建設し移転する。
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2011年12月5日
明治22年(1899)東海道全通の時点でも、新橋~神戸間の直通列車は日にわずか往復4本だった。大正時代に入ると人口の増加とともに乗客数はのび続けた。
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2011年12月5日
明治22年(1899)東海道全通の時点でも、新橋~神戸間の直通列車は日にわずか往復4本だった。大正時代に入ると乗客数は飛躍的にのび、大正時代中期には年間200万人に達し大正末期には400万人を超えていた。
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2011年12月5日
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2011年12月5日
列車の発着回数も大正末期には1日あたり100本を超え、名古屋駅発着の貨物も明治33年(1900)の年間14万トンから大正末期には年間100万トンをこえた。旅客と貨物の併用は飽和状態に近づいて新駅建設の機運が盛り上がった。
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2012年4月5日
明治39年(1906)に、奥田正香らによって現在の東邦ガスの前身、名古屋瓦斯が設立された。名古屋瓦斯は翌明治40年(1906)に開業し、 市内に初めてガスを灯用として供給した。大正11年(1922)に、名古屋瓦斯は関西電気のガス事...
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2011年12月5日
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2011年12月5日
春と秋の彼岸には、多くの露店や見世物、サーカスなどが境内にならび、多くの参詣者を楽しませた。参詣後は本町通を 北上して大須商店街へと向かった。
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2012年4月5日
明治39年(1906)に、奥田正香らによって現在の東邦ガスの前身、名古屋瓦斯が設立された。名古屋瓦斯は翌明治40年(1906)に開業し、 市内に初めてガスを灯用として供給した。開業当時、名古屋瓦斯の工場は精進川(新堀川)沿いにあっ...
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2012年4月5日
明治19年(1886)に中山道鉄道(後に経路が東海道経由に変更)の建築資材を武豊港から輸送する目的で 敷設された武豊線の終着駅として開業した。東海道線の建設にあたっては、低湿地の名古屋駅より名古屋の玄関口として ふさわしいとの声も...