大正時代

  • 2011年12月5日

    大正時代の名古屋「熱田神宮 信長塀と海上門(国宝)」

    永禄三年(1560年)織田信長が桶狭間出陣の際当神宮に願文を奏し大勝したのでその御礼として奉納した塀。 土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねている。三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と並び日本三大塀の 一つといわれている...

  • 2012年4月5日

    大正時代の名古屋「第八高等学校」

    明治41年(1908)に開校した旧制高等学校で、理系と文系があり3年間の修業年数を終えると帝国大学に進んだ。 現在の大学教養課程に相当する。現在は、名古屋市立大学の山の畑キャンパスとなっている。

  • 2012年4月4日

    大正時代の名古屋「荒子観音寺」

    天平元年(729)に泰澄大師が開基、天平13年(741)に弟子の自性上人が自性上人が堂宇を整えた。 創建当時は現在の北西にある高畑町にあった。多宝塔は名古屋市最古の木造建築物で国の重要文化財に指定されている。 また、遊行僧の円空作...

  • 2012年4月5日

    大正時代の名古屋「名古屋教育水族館と南陽館」

    明治43年(1910)に、実業家山田才吉は東築地五号地に「名古屋教育水族館」を建設し、その隣に五階建て南陽館の建設を始めたが 大正元年の台風と高潮で完成間近に倒壊、再び現在の東築地小の敷地に規模を縮小して開館した。しかし昭和10年...

  • 2011年12月5日

    大正時代の名古屋「名古屋港」

    明治40年(1907)に熱田の沖合いを浚渫して名古屋港が開港した。 明治43年(1910)名古屋港第一期工事が完了すると、引き続き600トン級の船舶の入港を可能とするため第二期工事が開始された。

  • 2011年12月7日

    美濃路 名古屋宿

    熱田から名古屋城にいたる本町通は名古屋を代表する基幹街道主だった商家が競って店を構えた。そのなかでも碁盤割の中を走る本町通は 名古屋城下の中心街として栄えた。 碁盤割とは、徳川家康によって東西は久屋通から堀川、南北は広小路から...