中山道

  • 2013年1月19日

    中山道 今須宿

    寝物語の由来近江と美濃の国境は、この碑の東10mあまりにある細い溝であった。 この溝を挟んで両国の番所や旅籠があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」 ので寝物語の名が生まれたといわれている。 寝物語「は中山道の古跡と...

  • 2013年1月19日

    中山道 関ヶ原宿

    慶長五年(1600年)9月15日未明に、家康配下三万余の軍勢は、ここ桃配山周辺に陣取った。 家康はこの山頂において、大馬印を高々と揚げ指揮にあたった。最後の陣地に移るまで、 各陣営からの報告をもとに、しきりと作戦会議が開けれた...

  • 2013年1月21日

    中山道 垂井宿

    西の見付は垂井宿の西の入口で、大名行列などを迎えた。また非常時などには閉鎖された。安藤広重は この見付付近から西を見て、雨の降る中山道松並木の中を、大名が行列をつくり、西より垂井宿の西の 見付へ入ってくる様子や本陣からの出迎え...

  • 2013年1月22日

    中山道 赤坂宿

    垂井町から大垣市に入ると左手に青野の一里塚が立っている。その北側の県道216号線の北に美濃国分寺跡の史跡が広がる。 赤坂宿の中心、四ッ辻へと向かう。途中、南に下り茶屋屋敷跡に寄ってみる。茶屋屋敷は、織田信長の造営した岐阜城の御殿...

  • 2013年1月23日

    中山道 美江寺宿

    平野井川を渡り、瑞穂市に入る。400m弱行った右手に呂久の渡しの跡に 昭和4年(1929)に造られた小簾紅園がある。入口に呂久の渡し跡の石柱と 皇女和宮御送跡碑が建てられている。 「落ち行く身と知りながら もみじ葉の人なつかしく...

  • 2011年12月7日

    中山道 河渡宿

    西河渡で岐阜市に入る。長良川から分流する川を越え河渡宿に入る。 河渡宿は江戸から百六里二十七町、五十五番目、宿人272人、家数64軒、 本陣1軒、旅籠24軒、の小さな宿場。 宿の中ほど左手に、一里塚跡碑と松下神社がある。...

  • 2013年2月25日

    中山道 加納宿

    河渡の渡しで長良川を越え堤を登り、中山道へはいる。鏡島を1km程進んだ左手に 乙津寺(おっしんじ)の参道がみえる。 乙津寺は、千手観音像を彫刻して安置したときに始まる。その後、弘法大師が当地に滞在、 寺を乙津寺と名づけ、七堂...

  • 2013年1月16日

    中山道 鵜沼宿

    芭蕉は三度鵜沼宿を訪れ、脇本陣の坂井邸に宿泊して、その都度句を詠んだ。1度目の訪問で詠んだ「ふく汁も 喰へは喰せよ  きくの酒」は刻んで句碑となり現在は、坂井邸から犬山の薬師寺に奉納されている。2度目と3度目の来訪で詠んだ句は、...

  • 2013年1月16日

    中山道 太田宿

    うとう峠を下り、国道21号線に合流した中山道を木曽川沿いに進むと、左手の山の岩盤を 削った所に岩屋観音が木曽川を見下ろすように祀られている。 岩屋観音は、近郷近在の村人からはもちろん、中仙道の旅人たちにも厚く信仰されていた。 19...

  • 2011年12月7日

    中山道 伏見宿

    太田の渡しで木曽川を渡り、可児市内の今渡、中恵土を過ぎ、上恵土まで来て 御嵩町に入る。上恵土の交差点の北西角に中山道と犬山街道追分碑が建てられて いる。追分から100m程いった左手に槍ヶ岳の登山道を開いたことで知られる播隆上人 の...