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福島正則生誕の碑
骨太で気性の激しい童子であったという正則。十二歳の頃、 親戚である秀吉を訪ね、当時秀吉が預かっていた加藤清正と切磋琢磨 しながら、秀吉の妻・ねねのもとで健やかに育ち、武士としての資質を 磨いていった。 秀吉の命運をかけた賎ヶ岳の合戦では、 七本槍の一人として活躍、数々の功績を挙げた正則は文禄四年(1595)、 ついに故郷尾張の 清須二十四万石を賜ります。後も不器用ながらも 勇敢に戦い、豊臣家を支えた。 秀吉亡き後、関ヶ原の合戦では 徳川家康側の勝利に貢献し、安芸・備後あわせて 四十九万八千二百二十三石の領主になった正則であったが、 三原城の修理を無断で試みたことを理由に領地を没収されてしまう。 国を追われた正則は信州へ移り、六十四歳で 静かに生涯を終えた。
福島正則生誕地の周辺
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月中庵
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月中庵
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福島正則解説
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福島正則の菩提寺菊泉院
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法蔵寺と鉄地蔵(国重文)
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法蔵寺と鉄地蔵(国重文)
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蜂須賀城跡と蓮華寺
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