【動画】昭和時代の幕開け、敗戦と戦後の復興
昭和時代の幕開けとともに世界的規模で経済恐慌がおこりました。名古屋も例外ではなく昭和初頭に達成される見込みであった人口100万人突破も昭和9年(1933)に持ち越されました。しかし、昭和7(1932)に入ると外国貿易総額は上向きに転じ、昭和8年には過去最高の数字を残すまでになりました。綿織物産業の貢献に加えて軍事費の増大による重工業、とりわけ航空機などの軍需関連企業の成長でした。また、自動車生産など新しい産業が起こったのもこの時期です。
- 索引
- ①江戸時代の名古屋城下
- ②1868→1888名古屋区時代
- ③1889→1926名古屋市誕生
- ④1926→1958昭和時代の幕開け
- ⑤1958→1968昭和30年代の名古屋
- ⑥江戸城下と尾張藩江戸屋敷
✰他のシリーズもご覧ください✰
- ✱名古屋港から名駅へ
- ✱堀川と名古屋城
- ✱変貌する名古屋城
昭和初頭の名古屋港周辺
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①名古屋港桟橋
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②東邦電力
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③三菱航空機製作所
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④名古屋飛行場(十号地)
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⑤-1中川口閘門
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⑤-2現在の中川運河
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⑥港新橋竣工前の渡し
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⑦港新橋(昭和7年竣工)
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⑧-1名古屋汎太平洋平和博覧会
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⑧-2名古屋汎太平洋平和博覧会
東邦電力は戦時下の昭和17年(1942)に解散、昭和26年(1951)、電気事業再編により中部電力が設立されました。三菱航空機製作所では零戦の開発とエンジンの製造が行われていました。
中川運河は名古屋港から笹島貨物駅までの既存の河川を改修整備して運河として利用する目的で行われ、昭和5年(1930)に幹線及び北支線の供用が開始されました。現在では、物流輸送では衰退しましたが、都会の貴重な水辺区間として見直され、平成29年秋には、名古屋港から笹島への観光定期船の運航が予定されています。
昭和7年(1932)に、はね上げ式の旧港新橋が完成されるまで東築地から堀川の対岸まで県営の渡し船が運航していました。
昭和12年(1937)3月15日から5月31日までの78日間の会期で南部臨海地帯で名古屋汎太平洋平和博覧会が開催さました。これにあわせて名古屋駅の移転、桜通、東山動植物園の建設などのインフラ整備が進みました。また、東・西・南・中の四区制から千種区・中村区・昭和区・熱田区・中川区・港区が加わり10区体制となりました。
昭和初頭の熱田神宮周辺
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①-1現在の堀川熱田付近
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①-2大瀬古橋
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②白鳥貯木場
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③-1熱田神宮
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③-2熱田神宮
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④国鉄熱田駅
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⑤-1熱田兵器製作所
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⑤-2熱田兵器製作所跡
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⑥第八高等学校
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⑦堀川(尾頭橋付近)
昭和8年当時の熱田周辺住宅地図
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熱田周辺住宅地図
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熱田周辺住宅地図
昭和初頭の大須・鶴舞公園
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①中川運河
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②松重閘門
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③-1本町通橘町付近
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③-2本町通橘町付近
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④-1七ッ寺
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④-2大須観音
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④-3大須仲店
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④-4本町通大須門前町
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⑤大須万松寺通
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⑥大須赤門通
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⑦岩井通商工会議所前
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⑧-1鶴舞公園
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⑧-2鶴舞動物園(昭和12年移転)
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⑨-1名古屋医科大学
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⑨-2附属病院
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⑩日本麦酒工場
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⑪-1本町通末広町
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⑪-2本町通末広町
松重閘門は、堀川と中川運河の連絡をはかるため1mの水位差を調整するため昭和5年(1930)竣工しました。
大須界隈は、映画館、芝居小屋などが軒を並べる名古屋随一の繁華街、娯楽街として繁栄しました。大正12年(1923)に、旭遊郭が中村へ移転し多少の影響を受けましたが、市電門前町~水主町の開通もあり昭和時代に入ると衣料品や家具などを扱う店も集積し戦前の名古屋を代表する商業地なりました。
鶴舞動物園は、昭和12年、東山公園完成とともに20年の歴史を終えました。
昭和8年頃の大須周辺
昭和8年頃の大須周辺
昭和初頭の名古屋市街中心部
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①納屋橋
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②名古屋ホテル
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③名古屋観光ホテル
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④広小路長島町付近
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⑤-1広小路名古屋銀行付近
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⑤-2広小路本町北を見る
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⑥広小路十一屋付近
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⑦-1栄町交差点北を見る
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⑦-2栄町交差点西を見る
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⑧-1大津通松坂屋付近
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⑧-2大津通松坂屋付近
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⑧-3大津通栄町付近
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⑨新栄町交差点
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⑩-1瀧兵(桜通完成前)
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⑩-2瀧兵(桜通完成後)
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⑪-1桜通大津(延伸前)
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⑪-2桜通大津(延伸前)
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⑫五条橋
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⑬-1本町鉄砲町御大典祝賀
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⑬-2岡谷商店
名古屋観光ホテルは、名古屋に国際級のホテルを造りたいと提唱し、名古屋財界が総力をあげて建設しました。株式会社名古屋観光ホテルは昭和9年に正式に発足しました。
大正13年(1924)7月東邦ガスは熱田区の現在地に本社を移転、跡地にはガス応用実験所と本部営業所がおかれました。また、昭和12年(1937)名古屋汎太平洋博覧会に合わせ、松坂屋は木造だった北館を増設、全館が完成しました。
名古屋駅の移転に合わせ桜通(幅員50m)が、駅から現在の桜通大津交差点付近まで建設されました。戦後、内山町交差点付近まで拡幅・延伸されました。
昭和8年頃の名古屋市中心部
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昭和初頭の名古屋城周辺
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①名古屋城
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②名古屋市役所(昭和8年移転直後)
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③ 愛知県庁移転(昭和13年)
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④大津通、大津橋付近
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⑤-1外堀通
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⑤-2お濠電車
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⑥NHK名古屋放送局
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⑦西区役所(4区時代)
名古屋城は、昭和5年(1930)、宮内省から名古屋市に下賜され一般への公開が行われました。国宝第一号の名古屋城と本丸御殿は、終戦直前の昭和20年5月14日、空襲により焼失しました。
名古屋市は、昭和8年(1933)高さ53mの中央塔を持つ帝冠様式の現在の庁舎を建設しました。昭和13(1938)には、愛知県庁も市役所の南隣に栄町から移転されました。
名鉄瀬戸線が名古屋城の外堀の中を走っており、「お濠電車」と呼ばれていました。終点堀川駅北にはNHK名古屋放送局や西区役所がありました。
昭和初頭の名古屋駅周辺
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①名古屋駅前(笹島)
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②名古屋駅前(笹島)
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③-1笹島からの移転工事
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③-2完成まじかの名古屋駅
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③-3名古屋新駅構内
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④市電中村線工事
旅客と貨物の併用であった旧名古屋駅は、大正末期には列車の発着回数も1日あたり100本を超え、貨物の扱い量も年間100万トンを超えるようになり、飽和状態で新駅建設が計画されました。笹島から北西約500mの現在地に新駅の建設が始まり、昭和12年完成しました。
昭和8年頃の名古屋駅前住宅地図
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昭和16年頃の名古屋駅周辺
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①昭和14年頃の駅前
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②焼土と化した中心街
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③昭和25年頃の駅前
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④昭和20年代末の駅前
昭和8年頃の名古屋城東高級旧宅街
昭和8年頃の名古屋城東高級旧宅街
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