古地図と映像で名古屋400年を辿る No.04 明治時代初期の名古屋

【動画】明治維新、愛知県名古屋区時代

明治2年(1869)に尾張藩が名古屋藩と改称され、その後、同4年の廃藩置県により名古屋県、翌年には 愛知県と改まりました。 明治11年12月、郡区町村編制法の実施により名古屋区という行政区が生まれ、名古屋区役所が開設され初代名古屋区長に吉田禄在が就任しました。明治21年市町村制の公布により翌年10月1日、名古屋に市制が施行され名古屋市が誕生するまで区制時代が続きました。

索引
①1958→1968昭和30年代の名古屋
②1926→1958昭和時代の幕開け
③1889→1926名古屋市誕生
④1868→1888名古屋区時代
⑤江戸時代の名古屋城下

明治20年頃の熱田周辺

Map01

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  • ①名古屋港開港前の熱田港

    ①名古屋港開港前の熱田港

  • ②熱田神宮

    ②熱田神宮

名古屋港ができるまで、名古屋のウオータフロントは熱田港でした。熱田港の沖合いは遠浅で大規模な港を建設する浚渫技術がなかったため、四日市まで運ばれた貨物を小型船に積み替えて熱田港まで回漕せざるをえませんでした。
明治時代の半ばを過ぎると浚渫技術も進み名古屋港の建設が始まります。

明治20年頃の大須・白川公園周辺

Map02

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  • ①-1大須観音

    ①-1大須観音

  • ①-2大須観音

    ①-2大須観音

  • ②-1愛知県立医学専門学校

    ②-1愛知県立医学専門学校

  • ②-2医学専門学校の跡

    ②-2医学専門学校の跡

清須越により岐阜県の大須郷から転した大須観音は、明治時代に入っても「観音さん」の愛称で親しまれ、また大須の商店街は歓楽街として繁栄しました。明治25年(1893)3月宝生座からの出火により大須観音は、ほぼ全焼。本堂は再建されましたが五重塔は再建されませんでした。
明治4年(1871)に旧尾張藩の評定所・奉行所跡地に開設された「仮病院・仮医学校」が起源。その後、一時西本願寺掛所にありましたが明治10年(1877)、堀川の東岸天王崎町に移転しました。大正3年(1914)現在の名古屋大学医学部のある鶴舞に移転するまで医学教育を行いました。

明治20年頃の名古屋駅と中心部

Map03

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  • ①-1名古屋駅笹島で開業

    ①-1名古屋駅笹島で開業

  • ①-2名古屋駅構内

    ①-2名古屋駅構内

  • ②木橋時代の納屋橋

    ②木橋時代の納屋橋

  • ③名古屋郵便局

    ③名古屋郵便局

  • ④名古屋電信局

    ④名古屋電信局

  • ⑤名古屋区庁舎(初代市庁舎)

    ⑤名古屋区庁舎(初代市庁舎)

  • ⑥愛知県庁(南久屋町)

    ⑥愛知県庁(南久屋町)

  • ⑦名古屋銀行

    ⑦名古屋銀行

  • ⑧-1茶屋町いとう呉服店

    ⑧-1茶屋町いとう呉服店

  • ⑧-2いとう呉服店内部

    ⑧-2いとう呉服店内部

明治16年(1883)政府は東西両京を結ぶ幹線鉄道を中山道に建設することに決定しました。軍事的な理由により海岸線から離れた中山道に敷設する計画でした。中山道を走り大垣に抜けるこの案は名古屋にとって 今後の発展に大きな支障をきたすものでした。当時の名古屋区長吉田禄在は、県令国貞廉平とともにこの案に異議をとなえました。木曽から美濃路を越す難所である馬篭峠での工事の困難や、東海道線の経済的な優位性を訴えて公債募集も始まっていたこの案をくつがえし、名古屋を通過する東海道線の開通にこぎつけました。反対もありましたが明治19年(1886)5月1日 名古屋駅は当時沼地と田んぼであった笹島に建設され、開業当初は置かれた地から「笹島停車場」 とも呼ばれていました。また都心と駅を結ぶため、堀川まで拡充されていた広小路通を笹島まで延長する工事も突貫工事で行われました。開業当時の名古屋駅は木造平屋建て、ホームは壁面が板張りで屋根はありませんでした。東海道全通の時点でも、新橋~神戸間の直通列車は日に往復4本。客車が3両、前後に荷物車が一両ずつの5両編成で運行されていました。開業12年後の明治31年(1898)京都についで全国2番目の市内電車(ちんちん電車)が名古屋電気鉄道により笹島~県庁前間の運転をはじめました。
堀川にかかる納屋橋は、名古屋停車場開業に合わせ拡幅されました。大正2年(1913)、近代的な鉄石混用の橋に建て替えられました。
明治4年(1871)、広小路本町交差点の東南角に名古屋郵便役所が開業、明治8年(1875)に名古屋郵便局と改称されました。名古屋電信局は郵便局と向かいあうかたちで、明治五年(1872)に建設されました。当時の名古屋では珍しい西洋館で、郵便局とともに文明開化の象徴とされました。
名古屋城内の旧竹腰邸から東別院に移った愛知県庁は明治10(1877)、広小路通の終点の南久屋町に西洋風な新庁舎に移転しました。その後、中央線の開通により千種停車場が開業、広小路の 延長が決まり再度、明治33年(1900)南武平町に移転されました。
愛知銀行、伊藤銀行とともに東海銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の前身である名古屋銀行は、明治15年(1882)名古屋の商人が集まって伝馬町に設立されました。
いとう呉服店は、慶長16年(1611)本町で創業。万治2年(1659)に茶屋町で呉服小間物問屋を開業。明和5年(1768)念願の江戸に進出、上野の松坂屋を買収して、いとう松坂屋と名を改めました。明治43年(1910)栄町南西角に百貨店として移転するまで茶屋町で営業を続けました。

明治20年頃の名古屋城周辺

Map04

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  • ①金シャチのない名古屋城

    ①金シャチのない名古屋城

  • ②名古屋鎮台

    ②名古屋鎮台

明治4年(1871)名古屋城は取り壊しの危機を迎え金鯱が天守閣から降ろされました。金鯱は東京に運ばれ明治6年(1873)には、1尾がウイーンの万国博覧会に出品され好評を得たことは知られています。その後関係者の尽力もあって名古屋城の取り壊しは中止されました。
明治6年(1873)徴兵令公布にともない、従来の東京・大阪・仙台・熊本の四鎮台に加えて名古屋・広島にも鎮台が設置されました。鎮台とは常設されるものとしては最大の部隊単位。名古屋鎮台は名古屋城内三の丸におかれ、明治21年(1888)に第三師団に改組されました。

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