古地図で見る 江戸城下と尾張藩江戸屋敷

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古地図で見る江戸城下と尾張藩江戸屋敷

尾張徳川家は江戸に総坪数は31万1000坪余にもなる屋敷を所持し、諸大名のなかで最大規模を誇っていた。尾張藩上屋敷【市谷屋敷】は当主の住まいで政庁も置かれた。明治4年(1871)、兵部省用地として召し上げられ、以後は一貫して陸軍用地となり、現在は防衛省の敷地となっている。
尾張藩中屋敷【麹町屋敷】は、江戸城外堀の四谷門内(現東京都千代田区麹町)に拝領した屋敷。総坪数1万7870坪余あった。幕末を迎え、明治2年(1869)に政府に接収された。尾張藩下屋敷【戸山屋敷】は、和田戸山(現新宿区戸山〉にあり避災邸と休息用の別邸を兼ねた下屋敷として整備された。尾張藩蔵屋敷は、江戸初期南八丁堀にあったが明暦の大火のあと築地地区の埋立地に移転された。
[徳川黎明会HP参照]

江戸城下図と尾張藩江戸屋敷

  • 江戸城下と尾張藩江戸屋敷

  • 江戸城下と現在対比

  • 南から見た尾張藩江戸屋敷

  • 南から見た尾張藩江戸屋敷

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