江戸時代

  • 2011年12月3日

    江戸時代の名古屋城下「名古屋城」

    名古屋城は蓬左城ともよばれていた。 「蓬左」とは蓬莱の宮、熱田神宮の左側にある町を示していた。 名古屋城は江戸初期の代表的な平城で、本丸、二の丸、西の丸、御深井丸、三の丸からなっており、 五層の天守と小天守が連結している。

  • 2011年12月3日

    江戸時代の名古屋城下「本丸御殿復元図」

    昭和20年に空襲で焼失した名古屋城本丸御殿の復元工事は平成21年1月に着工、平成25年度玄関・表書院等公開、 平成28年度 対面所等公開、平成30年度 全体公開のタイムスケジュールで復元工事が進められている。

  • 2011年12月3日

    江戸時代の名古屋城下「加藤清正 名古屋城石引きの図」

    慶長十五年(1610)加藤清正は大小天守閣の石垣工事を行った。清正は巨石を修羅(重い石材などを運搬するために用いられた木製の大型そり)に乗せて運ぶとき、石の上に乗り気勢を上げたと伝えられている。

  • 2011年12月3日

    江戸時代の名古屋城下「亀尾天王社(那古野神社)」

    創建は延喜11年(911)といわれ、創建時より若宮八幡社と隣接していた。名古屋城築城の際には移転の予定であったがご神託によりとどまり若宮神社のみ現在地に移転した。明治9年(1876)旧藩校明倫堂跡地に移転、那古野神社と改称した。

  • 2011年12月3日

    江戸時代の名古屋城下「三の丸東照宮」

    尾張藩初代藩主徳川義直が元和5年(1619)、父徳川家康遺徳をしのび名古屋城内三の丸、亀尾天王社(現在の那古野神社)の隣地に東照宮を建立した。地名から三之丸東照宮とも呼ばれた。明治9年(1876),名古屋鎮台建設のため旧藩校明倫堂...

  • 2011年12月3日

    江戸時代の名古屋城下「亀王天王社祭礼」

    亀王天王社(現在の那古野神社)例祭である天王祭は東照宮祭、若宮祭とならんで名古屋三大祭とされた。 毎年6月15・16日に若宮祭と同時に行われ二つの祭礼を総称して祇園祭と呼ばれていた。

  • 2011年12月3日

    江戸時代の名古屋城下「枇杷島橋」

    庄内川にかかる枇杷島橋は元和八年(1622)に完成した。東西に二つの橋を持ち大橋は七十間(約129m)、小橋は二十七間(約50m)ある日本でも最大級の橋であった。川のなかには中島があり二つの橋をつないでいた。

  • 2011年12月3日

    江戸時代の名古屋城下「下小田井青果物問屋」

    江戸時代、山田家、野口家により創設された下小田井の市は日本三大市場の一つであった。山田九左衛門家の住居は現在問屋記念館として西枇杷島(清須市)に移転復元され江戸時代の青果問屋の様子を現代に伝えている。

  • 2012年2月2日

    尾張名所図会「甚目寺観音詣(あま市)」

    甚目寺観音のある辺りは、六世紀末の頃は海に面していた。西暦597年、伊勢国甚目村の漁師龍麿という者が尾張国の入り江で投網をしていたとき、金色の聖観音像を引き上げ、 入り江のかたわらに草堂を建て観音像を安置し、自らの姓氏をとり甚目寺...

  • 2012年2月2日

    江戸時代の名古屋城下「清須総図」

    尾張の守護職にあった斯波氏は鎌倉街道近くの下津で職にあたった。斯波義重は、応永12年(1405)清須の地に下津城の出城として清須(洲)城を築城した。 後年、下津城が焼失し守護所は、清須に移転され尾張の中心地となった1478年のこと...