美濃路 清洲宿

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清須城と五条川

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、四男の松平忠吉を尾張藩の当主として清須に派遣し尾張の藩都とした。 松平忠吉は若くして世を去り、家康は九男の甲府藩主 徳川義直を尾張藩主として任命し清須に送った。 清須は五条川が流れ交易には最適だが、来るべき豊臣方との決戦をひかえた徳川家には、低湿地で水攻めに弱い清須は防衛には不適であった。 慶長15年(1610)より清須から名古屋台地の北端への遷府が行われた。世に言う「清須越し」である。 住民と寺社などをそっくり移転する「清須越し」により清須の町は荒廃した。清須の復活は後年、徳川家康によって美濃路の整備が行われ清須宿として 繁栄を取り戻すまで待たねばならない。

西枇杷島

庄内川にかかる枇杷島橋を渡り西枇杷島に入る。
枇杷島橋は元和八年(1622)にに完成。尾張名所図会にも描かれているように、 東西に二つの橋を持ち大橋は七十間(約129m)、小橋は二十七間(約50m )ある日本でも 最大級の橋。川のなかには中島があり二つの橋をつないでいた。
当時の橋は取り壊され、平行して架けられた枇杷島橋を県道67号線(旧国道22号線)が 通っている。
橋を渡ってすぐ、岩倉街道と美濃路の追分がある。 岩倉街道は、岩倉、江南、扶桑を通り犬山城下へ通じている。
美濃路が整備されると、西枇杷島本通り入口には枇杷島市場が開かれた。 江戸の神田、大坂の天満と並ぶ日本三大市場として栄え、その経済の繁栄は 現在でも引き継がれている尾張西枇杷島まつりの五両の山車の豪華さに象徴される。
西枇杷島問屋記念館は、野口家とともに、下小田井の市の創始者の一人といわれる 山田九左衛門家の住居を移築復元し、青物問屋の様式を伝える建物。
一方、野口家の8代目野口道直は、尾張藩士で学者の岡田啓、尾張藩士で画家の小田切春江 とともに尾張名所図会の刊行に着手。費用の大部分は道直が負担し、前篇を編纂した ところで財産のほとんどを使い果たしたと伝えられている。
問屋記念館の前を500mほど進んだ右手の屋根の上を見ると、屋根神様の小さな祠が 祀られている。防火鎮守の守護神である秋葉様などを祀っている。
新川橋の手前右にある瑞正寺あたりは、土器野の刑場のあった場所だ。
江戸初期の刑場 「千本松原」(名古屋市中区橘町)が、名古屋城下の発展により 土器野に移された。柿ノ木金助の獄門や、子鉄一味の処刑がおこなわれ多くの 見物客を集めたといわれており、瑞正寺の境内には、刑死者の霊を弔い信者によって 建てられた「土器野の宝塔」が建てられている。
門前を通り新川を渡る。


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西枇杷島

  • 枇杷島橋

    枇杷島橋

  • 枇杷島橋

    枇杷島橋

  • 枇杷島橋ー尾張名所図会

    枇杷島橋ー尾張名所図会

  • 西枇杷島問屋記念館

    西枇杷島問屋記念館

  • 西枇杷島問屋記念館

    西枇杷島問屋記念館

  • 青果市ー尾張名所図会

    青果市ー尾張名所図会

  • 松原神社

    松原神社

  • 屋根神様

    屋根神様

  • 屋根神様

    屋根神様

  • 瑞正寺参道付近

    瑞正寺参道付近

  • 瑞正寺の宝塔

    瑞正寺の宝塔

  • 瑞正寺の宝塔

    瑞正寺の宝塔

新川橋から須ヶ口へ

新川は、天明四年(1784)から開削が始まった運河。
それまでこの辺りは庄内川・五条川 などが流入する低地。たび重なる洪水によって甚大な被害を被ってきた。 寺野村庄屋 丹羽義造は窮状の打開を尾張藩に訴えたが、かえって閉居処分の 処分を受けてしまう。
安永八年(1779)洪水の惨状を視察した藩主宗睦は、 庄内川の治水事業を命じ勘定奉行水野千之右衛門は、庄内川に沿った新しい川の 開削を計画した。伊勢湾までを二百箇所以上もの工区に分け、天明四年(1784)に 一斉に着工した。天明七年(1787)、四十万両の巨費を投じた新川が完成し 、流域住民は水禍を免れることができた。
新川を渡りすぐのところに津島街道道標が立っている。津島街道はここから 分かれ、甚目寺観音、木田、勝幡を経て津島神社に至る。
新川から900mほど行った左手に須ヶ口の一里塚跡碑が立っている。かってこの一里塚は、橋にまたがり、橋の両側には小塚があって、榎の老木が 茂っていたという。
そこから200mほどの右手にある正覚寺の前に元須ケ口一里塚の 道標が置かれている。さらに300mほど北に進んだ丸之内郵便局のあたりは枡形に なっている。在りし日の清洲城下の南端だ。枡形からまっすぐ清洲城に向かって街道が延びており、北市場あたりまで旧五条川筋に囲まれるように城下町が広がっていた。


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新川橋から須ヶ口へ

  • 新川橋

    新川橋

  • 新川の開削

    新川の開削

  • 津島街道道標

    津島街道道標

  • 津島街道

    津島街道

  • 土器野新田図

    土器野新田図

  • 須ケ口一里塚跡

    須ケ口一里塚跡

  • 須ケ口一里塚跡

    須ケ口一里塚跡

  • 元須ケ口一里塚の道標(正覚寺前)

    元須ケ口一里塚の道標(正覚寺前)

清洲城と美濃路清洲宿

清洲古城は、稲沢市にあった下津城の別城として尾張守護斯波義重により 造られた。
戦国時代にはいると織田家の内紛により下津城は戦乱で焼失、 守護所は清須に移転され尾張の国の中心となった。
その後、織田信秀、織田信友が 城主となり、信友が信長に滅ぼされると信長が那古野城から移り、この城を拠点に 桶狭間の戦いなどの指揮をとった。信長は、美濃の斎藤氏との戦いに備えて小牧山城に 移るまでの約10年間この城で天下統一の基礎を固めた。
天正10年(1582年)本能寺の変で信長が死亡、清須会議などを経て信長の次男・織田信雄が 城主となる。秀吉と対立していた信雄は、城の拡張を積極的に行った結果、城下町の 人口は6万人ともいわれ関東の重鎮と呼ばれる大都市となった。
徳川家康の命により、清須越が始まり拠点が名古屋に移されて町もろとも消滅した。
現在の清須城は、平成元年(1989)に当時を模して再建されたもの。 現在の清須城の五条川対岸の丘の上に清洲古城の天守跡碑があり、ありし日の雄姿を 忍ばせている。
五条橋を渡り清須宿に入る。
五条橋は室町期、斯波氏の時代から架かり、1610年「清洲越」で 名古屋堀川に移されるまで、「御城橋」の役を果たしてきた。 美濃路宿駅として清洲が復活すると、旅人の往来著しく、 五条橋は何度も改築されてきた。現在の橋は名古屋移転前の擬宝珠の親柱と 銘文をそのまま復元したもの。
清須宿に入ると最初に鍵型の曲がり角がある。鍵型の入口の左手にある清涼寺は、 寛永年間(1624〜1643)に近くの土田からこの地に移り、洪福山清涼寺と名を改めた。 子安観音を本尊とし、延命地蔵、弁天、大黒、薬師、秋葉、百度席などを祭る 庶民信仰の寺。
尾張名所図会にも描かれているようにこのあたりが清洲宿の中心地、「札の辻」 と呼ばれ、高札場があり常夜灯が寺の入り口に置かれていた。
高札場跡の前を過ぎしばらく行くと清洲本陣が左手にあった。 この本陣は、将軍上洛、大名参勤、 勅使や朝鮮・琉球使節、お茶壷の参府、時には大象の下向などの 休泊所となり、美濃路のなかでも最も豪壮な建物だった。1891年の濃尾地震で建物が倒壊、火災に遭ったため、わずかに免れた この正門のみが、縮小して再建されている。
清洲宿を過ぎ、かっての清洲城下の北限にある総見院は、清洲城主時代の 織田信雄が父信長の菩提寺として、桑名大嶋の安国寺を引取り、総見寺を 建てたのが始り。
清洲越しで名古屋大須に移った後、1644年、総見寺第三代和尚の隠居所を兼ねて、 尾張藩祖徳川義直が清洲の旧地に総見院として建てさせた。


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清洲城

  • 清須城天守閣

    清須城天守閣

  • 清須城下の模型(場内展示)

    清須城下の模型(場内展示)

  • 清須城下図(慶長年間)

    清須城下図(慶長年間)

  • 清須城址

    清須城址

  • 清須城址石碑

    清須城址石碑

  • 清須城址ー尾張名所図会

    清須城址ー尾張名所図会

美濃路清須宿

  • 五条川

    五条川

  • 五条橋

    五条橋

  • 清洲総図ー尾張名所図会

    清洲総図ー尾張名所図会

  • 清洲総図ー尾張名所図会

    清洲総図ー尾張名所図会

  • 高札場周辺と清涼寺ー尾張名所図会

    高札場周辺と清涼寺ー尾張名所図会

  • 高札場周辺と清涼寺

    高札場周辺と清涼寺

  • 本陣の門

    本陣の門

  • 清洲本陣ー尾張名所図会

    清洲本陣ー尾張名所図会

四谷追分へ


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四谷追分へ

  • 総見院

    総見院

  • 総見院

    総見院

  • 亀翁寺

    亀翁寺

  • 長光寺 六角堂

    長光寺 六角堂

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