2009年10月4日(日)、名古屋市中川区富田町戸田で「戸田祭」が行われました。
戸田祭
辻(T字路)に4輌の山車が集まり順番にからくりが披露された戸田祭が行われる戸田地区は平安時代中期頃冨田荘という荘園の一部でした。冨田荘周辺には川が何本か流れており、良質な水に恵まれた肥沃な土地であったことから良質な米が穫れていました。戸田で収穫された米は「戸田米」として有名で尾張藩はこれを全国に売り出し、尾張の米は日本一との評判を得たと伝えられています。
戸田地区は、一之割から五之割まで5つに区分され、各割一輌づつ山車が保存されています。戸田地区が5つに分割されている理由として、権力者が良質な米を生産する戸田農民の力を分散させ、お互いに競わせようとしたのではないか、とも考えられています。
戸田祭が始まったのは赤穂浪士の討ち入りが行われた元禄15年(1702年)の8月とされています。それ以後は、大豊作の年などに4年から10年の間隔で不定期に山車祭が行われてきました。戸田祭開始から300年目の年(2002年)に一之割から五之割まで山車揃えが行われました。それを機に四年に一度のペースで山車祭(本祭)が行われることになりました。戸田祭は毎年10月の第一土曜、日曜に開催され、四年に一度、5台の山車が一同に会する本祭が行われます。(2010年、本祭開催)
辻に集まった後、一之割、四之割、五之割の山車が八幡社に移動し、からくりが披露された戸田のからくり人形は唐子人形ばかりというのが特徴で、これだけ唐子の山車が集まっているのは珍しいとされています。一之割は「片手倒立」、二之割は「越後獅子」、三之割は「文字書き」、四之割は「唐子遊び」、五之割は「綾渡り」を唐子が演じます。祭で奏されるお囃子は当初は同じ曲でしたが、口頭で伝承されるうちに各割ごとに特色を持ったものに変化していきました。
現在、一之割では祭りの伝承と後継者育成のため、12月と1月を除くの全ての月で毎週土曜日に子供を集めて練習しています。
動画
戸田まつり(2009年)
1から5までの各割の山車を紹介。各山車のからくりの違いがよくわかります。
解説:戸田まつり保存会 鬼頭久雄 代表