飛びこみ地蔵
今から百二十年ほど昔の明治の中頃のはなしです。
今でこそ人家がぎっしりと並んでいますが、明治の時代の志賀の里は、のんびりとした田舎の村でした。村の中には、小さな川がいくつも流れています。夏ともなれば蛍がとびかう、それはのどかなところでした。 子どもたちは、この川にきて、いつも遊んでいます。
水の流れが少ない時には、川をせきとめて、かいどりをしました。たくさんの小さな魚やどじょうがとれます。子どもたちのとってきたどじょうは、朝のみそ汁の中に入れられます。なまずや魚は焼いて、串にさして軒下につるしておきます。薫製になった魚は、いつでも食べることができました。
小川にかかる橋のかたわらに小さな地蔵さまが立っています。
村に病気や災難が入ってこないことを守ってくれる地蔵さまということで、村の人は、このお地蔵さまの前を通る時には、いつも手をあわせて通りすぎていきます。
取り入れもおわった秋のある日のことです。子どもたちは、今日も川にきてかいどりをしています。
草むらの中から、大きなまむしが子どもたちをみています。今にも、飛びかかろうとしていますが、子どもたちは、気づかずに、かいどりに夢中になっています。
川に大きな音がひびきました。まむしは驚いて、また草むらの中にかくれました。
子どもたちは、音のした方を見てびっくりしました。お地蔵さまが川の中に飛び込んでいるのです。誰かが、いたずらをしたのかと見わたしましたが、人影はみあたりません。
子どもたちの話を聞いて、親たちがお地蔵さまを、もとの位置に立て直しました。
お地蔵さまは子どもたちが大好きです。いつも、子どもたちが川で遊んでいるのを楽しそうに見ていました。まむしが出てきて、子どもに飛びかかろうとしたので、お地蔵さまは、自分が川に飛び込み、まむしをおどして、子どもを助けたのでした。親たちは、子どもがかいどりに夢中になっている時、通りかかった人が、いたずらをして川にお地蔵さまをたおしてすてたのだろうと思いました。
その後も、お地蔵さまが川に飛びこむことが続きました。子どもがまむしにねらわれると、お地蔵さまは、川に飛びこみ、まむしをおどして、子どもたちの生命をすくいました。
村人は、こんなに何度もいたずらをされてはかなわないと思って、橋に近い家でお地蔵さまをあずかることにしました。
児子宮(ちごのみや)の近くに二体のお地蔵さまが立っています。駐車場の脇に祭られている地蔵さまが、川に飛びこんだと伝えられているお地蔵さまです。三代にわたり、その家の方が守をしていらっしゃいます。 道をはさんで南側にあるお地蔵さまは、戦後、火事が二度ほど続いた時に、火災から町内を守るために建てたものです。町内の二軒の方が、いつも守をしていらっしゃいます。
地図
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