名古屋上水道経路と愛船株式会社航路
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山田雅雄氏 プロフィール
名古屋市への入庁は1971年。水道局から下水部が独立し、下水道局が発足した年。
下水道局時代は、処理場・ポンプ場の設計につづき、雨水整備の長期的ヴィジョンづくりや合流式下水道の改善など、計画部門で活躍した。
また、日本下水道事業団へ2度出向し、下水道事業団の成果のひとつである高度処理法の発展に寄与した。 1998年総務局企画部企画課長、2001年総務局企画部長。少子・高齢化の急速な進行、地球環境問題の顕在化、高度情報通信社会の進展など、時代の大きな転換期を迎える中で、21世紀初頭の名古屋市のまちづくりの指針となる「名古屋新世紀計画2010」策定の最前線で活躍。
2000年水道局、下水道局を統合し、上下水道局が発足。
2003年に、上下水道局長に就任。水道、下水道の両面から木曽川上流域から伊勢湾に至る流域の全体を見渡した「水の総合的管理」を推進した。
2007年名古屋市副市長に就任。水源から伊勢湾まで流域全体での水に限らない幅広い上下流交流に尽力した。
2011年3月退官。
※以下の文章は、山田名古屋市副市長(2010年9月取材当時)にインタビュー取材したものを要約して掲載しています。
木曽川水系の歴史と名古屋とのかかわり
木曽川の歴史というのは、河口部を見ていただくと木曽川も揖斐川も長良川も途中からは混然としたような流れで、それが人の手で相当長い時間がかかっているんですけども整備してきたという歴史があります。
今の時点で木曽川、長良川、揖斐川のことを考えると、木曽の山々という言葉があるように森に始って木曽川、長良川、揖斐川を通じて水が流れて、それが伊勢湾に注いでいます。
この森、川、海のおかげでこの地方が存在しているという、木曽三川あるいは伊勢湾の持ってる意味は大きなものがあると思います。
木曽川本流の流路
木曽川と堀川を結んだ 愛船株式会社
明治時代に愛船株式会社という船会社ができまして、木曽川から木津用水、新木津用水を使って庄内川に入り庄内川から矢田川の下をくぐって(伏越)、堀川に入り納屋橋に物を運んで来ると、船頭さんは荷物を降ろして次の日に犬山まで船を上げていました。
堀川に木曽川の水を頂きたいという市民の活動があるなかで、以前は犬山から船を使って納屋橋まで物が運べたそんな実績もあるんです。愛船株式会社のことを思うと、いろんな思いが浮かんだり、いろんな歴史が感じられます。ロマンを感じます。
愛船株式会社の航路 木津用水・新木津用水・堀川
名古屋市の上水道整備
明治の終盤になってから愛知県の上田技師が水道と下水道の計画をつくったんですが、思い切って入鹿池(ここからの導水が検討されていたが実現しなかった)からさらに北へのぼって犬山にある木曽川の本川に水源を求めた。
その時に思いきって北まで水源を持っていったということと、人口30万くらいだった名古屋の都市を、人口100万人を想定した大きな計画だったんです。50年先、100年先を見据えた長いスパンで物事を考えて行く、あるいは名古屋市のあり方を考えてゆくことが必要じゃないかと思います。
上下流域での交流と循環の仕組み
私が考えているのは、例えば水と生物の循環と同じように、ただ単に観光だけではなく、経済的な循環が可能にならないかと考えています。端的に言いますと、例えば名古屋市民は税金を納めて、名古屋市で税金を全部使っているわけではないんです。
上流の方は自分たちの生活を守るために農業をやられたり、林業をやられたりしてると思うんですが、農業や林業に対する支援も税金で行われているんですが、それが今は名古屋の市民が納めた税金の一部がどこへ行っているか分からない状態になっているんです。秋田の農業を支えているかもしれないし、農業に関して言えば北海道かもしれない。お金に色がついているわけではないので分かりません。
それは必要なんですが、そういった状態だけではなくて、モノの移動の時はモノが移動するので、よく分かるわけです。これは木曽のモノだ、これは揖斐のモノだと。それと同じように下流側が上流と経済的に交流する、経済的にも循環するという発想でいけば、お金そのものが上流側にどのように回ってゆくかという仕組みをつくらなくてはいけないと思うんです。]
森林を守るために水源税だとか環境税という方法もあります。でも基本的には、上流側の方が経済的に自立できるような循環ができないかと思って、下流側でいろんな所が始めたのが木を植えましょうということもありますし、特産物を買いましょうということで名古屋でも上流の方がつくられた特産物を買うチャンスが沢山できてますので、これは木曽の白菜でおいしいね、とか恵那の野菜でおいしいとか、そういった状況は出来ているんです。
それももっと、どんどんやらなきゃいけないんですが、1つ気づいたのは、そういう取り組みのなかで上流から食べ物だけじゃなく木工品も含めていろんな特産物を見せていただいた時に、いいものは売れるということに気付きました。
ある所で試験的にずっと特産物を並べることをやってみたんです。そこへ何度か足を運んで、売ってみえる方に話を聞いてみますと、漆を塗った木のお碗が1脚3,000円だか3,500円するんです。5脚じゃないですよ。これが一番売れるそうです。むろんお碗が貴重だということもありますが、例えば高齢者にとってはお茶碗が重くなってしまう、お碗は軽いですよね、都市側のニーズにも合っている。
そのお碗が売れているということに、いろんな事を思ったんです。これから我々が工夫してやっていかなきゃいけないのは、ただ単に特産物を置くんじゃなくって、買う者、使う者にとっていいモノにしていただく。ちょっと語弊があるかもしれませんが上流の方の感覚と、下流のゴチャゴチャとした都市の中で生活している人間と、多少好みも違うということであれば、好みの違いを製品のなかに反映していただくことが大事かなと思います。
そういった意味で、モノをつくっている方と消費者の間に、デザイナーだとか小さな会社でもいいんですが消費者機能を持った方々だとかが、中に入ってもらえないかと考えています。ただ単にオープンマーケットをつくるだけではなく、オープンマーケットを開くのと併せてメッセのように企業人が上流の方と接触できたり、議論できるような場が出来ないかという思いもあります。
昔、伊勢湾学会をつくったらどうかとおっしゃってた方がいましたが、まさにそういう物。COP10を契機に流域全体で連携して豊かな伊勢湾流域あるいは木曽三川流域をめざしてゆきたいと思っています。
名古屋上水道経路と愛船株式会社航路