
三宅川沿いの勝幡城跡
永正年間(1504年~1520年)頃、清洲三奉行の一家「織田弾正忠家」当主 の織田信定が築城したと伝えられる。 信定の子、織田信秀は今川氏豊から那古野城を攻め取ると、那古野城に 移り城代として置いた。 『尾州古城志』によると、天文3年(1534年)に信秀の嫡子・織田信長は、 この勝幡城で産まれたと記されている。 柱:那古野城という説もある 弘治元年(1555年)、信長は主家の大和守家を滅ぼして清洲城を奪取すると、 拠点を那古野城から清洲城へと移し、やがて勝幡城は廃城となった。
源佐橋周辺
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織田信長の生誕地勝幡
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