大画面でご覧になりたい方はYouTube Network2010で
- 名古屋おもてなし武将隊アーカイブス & 服部半蔵忍者隊
- 武将隊お披露目式(2015,4,4)
- 武将隊出立式(2015,3,29)
- 武将隊四周年祭(2013,11,3)
- 武将隊三周年祭(2012,11,3)
- 武将隊お披露目式(2012,5,20)
- 武将隊 出立式(2012,3,31)
- 武将隊 結成式(2009,11,03)
- 徳川家康と服部半蔵忍者隊参上!
愛知県にゆかりのある服部半蔵を中心とした6人の忍者集団。 「武将のふるさと愛知」など愛知県の魅力を国内外に向けて発信するため結成された。
演武内容
天下統一を目前にした織田信長は中国、四国地方を制圧するため京都に宿泊していた。1582年6月、信長は家臣の明智光秀の謀反により本能寺で寝込みを襲われ包囲され自害した。変の直前に、信長の盟友であった徳川家康は、信長に招かれ安土城を訪れた。そして本能寺の変が起きたとき、家康は京都に近い堺に滞在していた。信長死去の報が、家康の元へも届いた。明智光秀の追求を逃れるため伊賀の険しい山々を越えて、領地岡崎までの200キロを超える逃避行をおこなった。伊賀忍者の首領であった服部半蔵と配下の忍者たちは、家康を守り無事岡崎へ生還させた。
家康が江戸幕府を開設すると、服部半蔵は伊賀忍者の統率者として迎えられ、家康の家臣となった。服部半蔵のもとに集まった伊賀忍者たちは江戸城西門の警備を任された。半蔵門と呼ばれ、その地名は現在でも残っている。