刈谷城は、天文2年(1533)に水野氏が金ケ小路のほとりに築城した。水野氏を最初に、以後 水野(分家)、松平(深溝)、松平(久松)、稲垣、阿部、本多、三浦、土井氏の譜代大名が城主と なる。明治4年の廃藩置県後、刈谷城は政府の所有となり、城郭の建造物は取り払われた。 大正2年大野介蔵に売却され、旧城郭を永久に保存することになった。昭和11年町から旧城郭を 公園にしたいと意見書が出され、刈谷町に売り渡され、翌年には亀城公園となった。
(刈谷市教育委員会)
大浜街道 刈谷市その1
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小垣江
大浜街道を小垣江に入ると金毘羅神社が鎮座している。金毘羅神社の南には、江戸時代に塩がつくられていた塩田があったという。小垣江神明神社は、日本武尊が東国を平定した帰り、熱田に向う舟が誤って三河湾にはいり、ここに上陸したとき、この地のあたりが神の御垣の入江のようであったことが「御垣江」の地名のおこりといわれている。
大浜街道 刈谷市その2
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大浜街道 刈谷市その3
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刈谷城下
紫雲寺前の大浜街道を行くと、誓満寺山門が左手に見える。誓満寺から巡検橋までの大浜街道街道沿いには、専称寺、観音寺、超円寺などが点在している。
楞厳寺は、永平寺7世の孫、利山和尚が応永20年(1413)に開いたとされる曹洞宗の禅寺で、刈谷城を築いた水野家の菩提寺。嫁ぎ先の松平家を離縁され、岡崎から刈谷に帰った於大の方がしばしば詣でたと伝えられている。境内には水野家廟所があり、 於大の兄にあたる刈谷城主・水野信元や3代目・水野忠重の墓がある他、絹本著色伝通院画像(県指定文化財)などを所蔵している。近くには、刈谷古城跡や本刈谷神社などがある。