東海道 岡崎宿 - Network2010

東海道

岡崎宿

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大平の一里塚

一里塚の石碑と看板一里塚の石碑と看板大平の一里塚大平の一里塚藤川松林を過ぎると国道1号線に合流します。しばらく進み国道1号線から離れ、左に分岐し西へ進みます。
藤川松林から約3kmの距離、左手に大平の一里塚が現れます。塚の大きさは高さ2.4m、横幅6.7m、縦右7.3m、縦左8.5mでひし形をしており、榎が植えられています。現在は南側だけが残っており国指定の史跡となっています。

大岡越前の屋敷跡(西大平藩陣屋)

大岡越前守陣屋跡の解説大岡越前守陣屋跡の解説屋敷内から門を望む屋敷内から門を望む大平の一里塚大平の一里塚大平の一里塚から北西へ約200mほど入ったところに大岡越前の屋敷跡があります。この屋敷は大岡越前守忠相が寛延元年(1748年)、一万石の大名となった際、西大平藩の領地を治めるために置いた陣屋(政庁兼居所)です。明治の廃藩置県まで7代にわたって大岡家が西大平藩を治めていました。現在、門が復元されています。

二十七曲のはじまり

岡崎宿略図岡崎宿略図二十七曲のはじまり二十七曲のはじまり大平の一里塚から東海道を1.6km行くと欠町・二十七曲の碑が建っています。ここから八帖町までの間の城下町をクランク状に曲がりながら東海道は走っています。

松平信康、築山殿の悲運

若宮八幡境内若宮八幡境内若宮八幡の解説若宮八幡の解説松平信康の墓松平信康の墓欠町・二十七曲の碑から南西約360mに位置する若宮八幡の境内には、家康の長男 松平信康の墓が祀ってあります。
信長の娘である徳姫と結婚していた信康ですが、織田信長に謀反の疑いをかけられたため、父家康によってやむなく切腹を命じられました。

八柱神社の解説八柱神社の解説築山殿の首塚築山殿の首塚八柱神社八柱神社一方、若宮八幡と東海道を挟むように北東約1kmに位置する八柱神社の境内には築山殿(駿河御前)の首塚が祀られています。
今川義元の姪である築山殿は、徳川家康の正室でした。桶狭間の戦い後、信長に謀反の嫌疑をかけられ、長男 松平信康の切腹とともに殺害されました。


岡崎宿

二十七曲の解説二十七曲の解説今はコンビニになっている西本陣跡今はコンビニになっている西本陣跡本陣・脇本陣跡の解説本陣・脇本陣跡の解説徳川家康の生誕地、岡崎宿は本陣3、脇本陣3、家数 1,565、旅籠112、宿場人口6,494人の規模を誇っていました。
欠町にはじまる二十七曲は若宮町、両町を通り伝馬町に合流します。伝馬町には、本陣跡、脇本陣跡、西本陣跡が並んでいます。

旧岡崎銀行本店

旧岡崎銀行本店(現岡崎信用金庫資料館)旧岡崎銀行本店(現岡崎信用金庫資料館)旧岡崎銀行本店の解説旧岡崎銀行本店の解説本陣跡を過ぎ、伝馬通1丁目の交差点を左に曲り、一本目を右に折れた約150m右に旧岡崎銀行本店が建っています。
大正6年(1917)に旧岡崎銀行本店として建てられました。昭和25年(1950)に岡崎商工会議所として改修され、昭和51年(1976年)まで会議所会館として使用されていました。現在は岡崎信用金庫資料館として利用されています。

浄瑠璃姫の慰霊塔

浄瑠璃姫の解説浄瑠璃姫の解説浄瑠璃姫の慰霊塔浄瑠璃姫の慰霊塔資料館を過ぎ、康生通を左へ東海道と反対側に曲り150m先の国道1号線を名古屋方面に約500mほど行くと岡崎公園があります。公園の入口付近に、義経を慕い菅生川に身を投げた浄瑠璃姫の慰霊塔があります。

岡崎城

岡崎城岡崎城公園に入り南へ進むと岡崎城の天守閣が見えます。岡崎城は、1542年に徳川家康が生まれた城で、家康の父 松平広忠が家臣の謀反で殺害され、岡崎城は今川家の属城となっていました。桶狭間の戦いで今川義元が敗死し、ようやく家康は岡崎城を取り戻すことができました。関ヶ原の戦い後は徳川譜代の本多康重が5万石の城主となり、岡崎を治めていました。

乙川 船着場跡

物資を運ぶ帆掛け船の石碑物資を運ぶ帆掛け船の石碑船着場跡の石碑船着場跡の石碑乙川乙川乙川は岡崎市を流れる矢作川最大の支流です。毎年8月に盛大な花火大会が行われることでも有名です。

龍海院

松平清康により創建された龍海院松平清康により創建された龍海院殿橋を渡った乙川の対岸にある龍海院は、享禄3年(1530年)徳川家康の祖父 岡崎城主松平清康により創建された曹洞宗の寺院です。

家康の父松平広忠の菩提寺 松応寺

松平弘忠の菩提寺 松応寺松平弘忠の菩提寺 松応寺松応寺の解説松応寺の解説再び東海道の二十七曲に戻って進んでいきます。
康生通を北に進み、連尺通を左折し、本町通を通り過ぎ、さらにクランク状にまがり材木町へと進みます。材木町3丁目から東海道を離れ、北に約350m行くと松応寺に着きます。現在はアーケードとなっている参道を通り本堂を参詣します。本堂手前の左側に太子堂があります。桶狭間の合戦後、岡崎城主となった家康は、非業の死を遂げた父 松平広忠の菩提のため松応寺を建立しました。

八丁味噌の郷

八丁味噌カクキュー八丁味噌カクキュー八丁蔵通り八丁蔵通り材木町3丁目から東海道は、柿田橋をわたり左に折れ西魚町へと入っていきます。かぎ型に曲がりながら堀と並行に進み岡崎城天主のあたりで右におれ県道248号線を越えると右に八丁味噌の郷が見えてきます。
八丁味噌は、三河武士も兵糧として持ち歩いた、固くて色の黒い濃厚な豆味噌です。八丁味噌カクキューは、史料館を併設し、八丁味噌の歴史を紹介しています。八帖町で二十七曲は終わり、若き日の秀吉が野武士の蜂須賀小六と出会ったとされる矢作大橋跡へと続きます。

http://www.youtube.com/v/wo9JdgX6W90
八丁味噌の郷 カクキュー
資料館では八丁味噌の歴史や作り方がわかりやすく体系的に展示されています。

誓願寺 浄瑠璃姫の墓

矢作川越しに岡崎の町を望む矢作川越しに岡崎の町を望む矢作川から約800m進んだ右側にあるのが誓願寺です。境内には浄瑠璃姫の墓があります。
矢作の里の兼高長者の娘、浄瑠璃姫は源義経を慕うあまり菅生川に身投げしました。長者は娘の冥福を祈り、十王堂を再建して義経と浄瑠璃姫の木像を作りました。義経が姫に贈った名笛「薄墨」と姫の鏡を安置したと伝えられています。

浄瑠璃姫の墓浄瑠璃姫の墓(誓願寺)

十王堂(誓願寺)十王堂(誓願寺)

動画

http://www.youtube.com/v/p51b98xchPc
東海道 岡崎宿
岡崎宿周辺を動画で紹介します。