東海道 鳴海宿 - Network2010

東海道

鳴海宿

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阿野の一里塚

Narumi03a.jpg阿野一里塚01.jpgNarumi02a.jpg逢妻橋から東海道は国道1号線と合流します。約1.5km進み左手に分岐、さらに1.5km先の今川町で国道1号線と交差して平行に進んでいきます。分岐点から850m、境川を越え、伊勢湾岸道路を越え、再び国道1号線と合流して進むこと約850m、途中名鉄本線豊明駅を左手に見て再び国道1号線と分岐します。分岐点から県道57号線と交差し100mほど行った街道の両脇に阿野の一里塚が残っています。

戦人塚

戦人塚戦人塚戦人塚 解説戦人塚 解説戦人塚は、名鉄名古屋本線前後駅の北500mの丘の中腹にあります。
桶狭間の戦いの戦死者は、今川軍2,500人、織田軍830人と伝えられています。この戦人塚には、そのうちの2,500余名の霊が眠っています。

このあたり東海道沿いの豊明市から名古屋市の緑区にかけては、戦国時代に今川義元と織田信長が戦った桶狭間の戦にゆかりのある場所が広がっています。
桶狭間古戦場公園桶狭間古戦場公園桶狭間古戦場公園 石碑桶狭間古戦場公園 石碑中京競馬場の南にある高徳院(豊明市)の境内には今川義元本陣跡があります。また名古屋市緑区にある桶狭間古戦場址は公園として整備され今川公首洗いの泉などが残っています。近くの長福寺は、上洛する今川勢を酒食でもてなしたとされ、境内には合戦死者の供養搭が建っています。

江戸時代の風情を残す有松

服部家住宅服部家住宅井桁屋井桁屋神功皇后車山車蔵神功皇后車山車蔵古戦場を後にして、東海道は大将ヶ根で1号線と分岐して有松に入ります。
竹田庄九郎らによって生み出された有松絞りは、江戸時代には東海道五十三次一の名産品と謳われていました。沿道には服部家住宅、竹田邸、小塚邸など当時の面影を残した商家が建ち並び往時をしのばせてくれます。
有松鳴海絞会館 展示室有松鳴海絞会館 展示室有松絞り有松絞り有松鳴海絞会館では絞りの歴史資料や技術をわかりやすく展示しています。また伝統工芸士による絞実演も行われています。
有松は、東海道のなかでも江戸時代の家並みが残る貴重な街といえます。

有松の山車

布袋車布袋車布袋車布袋車有松山車会館有松山車会館有松鳴海絞会館の斜め向かいにある有松山車会館には、有松が所有する「布袋車」「唐子車」「神功皇后車」の山車を順次、1台づつ展示しています。

平部常夜灯

Narumi23a.jpg有松を過ぎ名鉄の踏切を超えて約1km東海道を進むと、左手に平部常夜灯があります。ここから鳴海宿へと入っていきます。


鳴海宿

鳴海城跡鳴海城跡鳴海宿は本陣 1軒、脇本陣 2軒 、旅籠屋 68軒、総家数 847軒、総人口 3,643人の規模の宿場でした。

平部常夜灯から500mほど進むと扇川があります。川向こうの右手にあるのが鳴海城主・安原宗範創建の寺、瑞泉寺です。扇川とともに尾張名所図会にも描かれています。

万福寺万福寺瑞泉寺瑞泉寺さらに150m行くと曲の手、道はクランク状に曲がり鳴海宿の中心部へと進みます。本町、根古屋町には問屋場、脇本陣、本陣があり、北側の山手には万福寺をはじめとする寺院や鳴海城跡(移転前の成海神社)などが点在しています。

鳴海宿西の出入口 丹下町常夜灯

丹下町常夜灯丹下町常夜灯作町の交差点で東海道は右に曲がり、北へ500mあまり進んだ右側に丹下町常夜灯があります。この常夜灯が鳴海宿の西の出入り口となっています。

成海神社

成海神社成海神社丹下町常夜灯から街道をそれ、西北へ300mの山道をのぼると成海神社があります。日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る成海神社は、根古屋城(鳴海城)あった場所に位置していましたが、築城のため現在地に移転されました。

動画

http://www.youtube.com/v/oO4l8hhDhpk
東海道 鳴海宿
鳴海宿(なるみじゅく)は、東海道40番目の宿場です。
尾張四観音の1つ、笠寺観音や有松絞りで有名です。