東海道 池鯉鮒(知立)宿 - Network2010

東海道

池鯉鮒(知立)宿

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熊野神社

誓願寺を過ぎしばらく行くと国道1号線に合流します。約2km国道1号線を行き、尾崎東の交差点を右に入り約1.5km先の右側に熊野神社が見えてきます。熊野神社の前で東海道と鎌倉街道が交差しています。

明治用水記念碑と明治川神社

熊野神社から約1.2km東海道を進み、県道76号線を超えた左右に明治用水記念碑と明治川神社があります。
都築弥厚が荒地であった安城が原に矢作川から導水しする計画をたてました。その後、岡本兵松・伊豫田与八郎らにより明治用水は完成しました。明治川神社には、明治用水建設に功績のあった、都築弥厚・岡本兵松・伊豫田与八郎らが祭神として祀られています。

無量寿寺とカキツバタ

無量寿寺本堂と芭蕉句碑無量寿寺本堂と芭蕉句碑八橋無量寿寺への道標八橋無量寿寺への道標明治川神社から約3km来た所、右手にある道標は、在原業平ゆかりの八橋無量寿寺への道しるべとして建てられたものです。「従是四丁半北 八橋業平作観音有」と記されています。ここで東海道を離れ、右に曲り約700m行くと無量寿寺があります。
創建は奈良時代で19世紀はじめ頃に再建されました。毎年4月末~5月初旬にカキツバタの咲き誇る庭園は有名で、在原業平ゆかりの地をしのばせています。

無量寿寺とカキツバタ

八橋のかきつばたは、平安の歌人“在原業平”が、「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」と、句頭に「かきつばた」の5文字をいれて詠んだように伊勢物語の昔から知られるかきつばたの名勝地です。

鎌倉街道散策 在原寺

鎌倉街道鎌倉街道浄教寺浄教寺在原寺在原寺無量寿寺の南を東西に鎌倉街道が通っています。そのまましばらく鎌倉街道を散策してみましょう。
浄教寺を右手に見て300mほど歩くと在原寺が左手、鎌倉街道沿いにあります。寛平年間(889年~897年)に在原業平の菩提を弔うための業平塚が築かれた折、その塚を守る人の御堂として創建されたと伝えられています。

鎌倉街道散策 根あがりの松

根あがりの松根あがりの松根あがりの松の解説根あがりの松の解説その先の左手に安藤広重に描かれたといわれる「根あがりの松」が威容を誇っています。

鎌倉街道散策 業平塚と業平供養塔

業平供養塔業平供養塔業平供養塔業平供養塔その先約150m,名鉄三河線を超えた右手に、業平塚と業平供養塔があります。鎌倉末期に業平を偲んで建てられたといわれています。

来迎寺一里塚

来迎寺一里塚来迎寺一里塚鎌倉街道の散策を終え、再び東海道へと戻ります。
道標から約150m左手に来迎寺一里塚があります。塚の上の樹木は、東海道の塚ではよく見られる榎ではなく松が植えらています。両塚とも完全に遺されており貴重な遺産となっています。

知立の松並木

知立の松並木知立の松並木馬市の跡にある馬市の浮世絵馬市の跡にある馬市の浮世絵来迎寺一里塚から1kmあまり東海道を進み、衣浦豊田道路を過ぎたあたりから道の両側に松並木が続きます。1kmほどあった並木も現在では450mほどになってしまいました。並木の途中左手には馬市の跡の碑が建てられています。馬市では400~500頭ほどの馬が売られていたと伝えられ広重の浮世絵にも描かれています。

知立(池鯉鮒)宿へ

知立宿周辺略図知立宿周辺略図松並木を過ぎ、国道1号線を超えると知立(池鯉鮒)宿に入ります。知立宿は本陣1軒、旅籠 35軒、家数 292軒、人口 1,620人の比較的小規模な宿場でありました。

慈眼寺 馬市の跡の碑

馬市の跡の碑(慈眼寺)馬市の跡の碑(慈眼寺)慈眼寺慈眼寺国道1号線から約500m、東海道を離れ右手に150m行った先、右手に慈眼寺があります。明治になって馬市が松並木からこの場所に移され、慈眼寺の境内には馬市の跡の碑が建てられています。

知立古城跡

了運寺了運寺知立古城跡知立古城跡東海道をさらに進みます。県道51号線の中町の交差点を超えたスーパーの駐車場脇に問屋場跡の碑が建っています。さらに東海道を中町問屋場跡から本町へと約150m進み、三叉路を右に曲がると、左手に知立古城跡の碑が見えてきます。その先の三叉路の正面に了運寺があります。

三河屈指の大社 知立神社

知立神社知立神社知立神社多宝塔知立神社多宝塔県道155号線を超えると知立神社の参道が伸びています。知立神社は池鯉鮒大明神とも呼ばれ、三河では屈指の大社です。5月~6月にかけて境内に花菖蒲が咲き誇ります。
総持寺を左手に見て250m進むと逢妻橋です。逢妻川を超え東海道は再び国道1号線へと合流し、鳴海宿へと向かいます。

動画

http://www.youtube.com/v/XfzYjar2hqM
東海道 池鯉鮒(知立)宿
池鯉鮒(現知立)が東海道の宿駅として発足したのは、関ヶ原合戦の翌、慶長6年(1601)のことです。古代から知立神社を氏神として城砦を構え、馬市場の開かれる農村だった池鯉鮒は、この時を転機として、東海道交通の要務をになう宿場町の活動を開始することとなりました。東海道五十三次が完成したのは、寛永10年(1633)になってからです。