桑名宿
七里の渡し
手前が船津屋(大塚本陣)、奥が山月(駿河屋脇本陣)
七里の渡し場跡と一の鳥居七里の渡し場に到着すると天明年間(1781~1789)に建てられた伊勢神宮の「一の鳥居」が目にはいります。
鳥居は 伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。
渡し場の 西側に大塚本陣と駿河屋脇本陣が並び、現在は料亭「船津屋」と旅館「山月」として営業しています。
桑名は古くから伊勢湾、木曽三川を利用した広域的な舟運の拠点港として「十楽の津」と呼ばれ、木材や米等の集散する自由活発な商業都市として発達してきました。七里の渡し場の北西にある住吉浦は、廻船の舟溜りで、全国から多数の廻船業者が集まっていました。
扇城
神戸櫓跡七里の渡し場から東海道を堀に沿って南に進むと、左手にかつて「扇城」と呼ばれた桑名城の本丸跡と二の丸跡に造られた九華公園が見えてきます。この公園は約7.20haの広さがあり、公園の中に伊勢神戸城(現在の鈴鹿市神戸)の天守閣を移した「神戸櫓」跡が残されています。
九華公園の反対側の東海道沿いに春日神社の参道があります。古来から桑名の総鎮守として崇敬され、毎年夏になると、日本一やかまし い祭といわれる石取祭がおこなわれます。
桑名 石取祭
春日神社の流鏑馬神事の馬場修理のために、町屋川から石を運んだのがはじまりとされる。打ち鳴らす鉦や太鼓の音がすさまじく、日本一やかましい祭りと称される。祭車は漆を塗りの見事な彫刻に、豪華な天幕をつけ見応え十分。毎年8月第一土曜日の午前0時から日曜日深夜まで行われる。
石取会館と桑名市博物館
桑名市博物館
石取会館外堀に沿って設けられている「歴史を語る公園」を過ぎ右手に曲り県道613号線の交差点手前の両脇に、石取祭を紹介している石取会館と萬古焼関係の収蔵物が充実している桑名市博物館があります。
見附跡
鍛冶町の見附跡。東海道右からきてこの角を直角に入っていく。県道613号線の交差点を超え左手に曲がり直進して、鍛冶町の吉津屋門のあった見附跡に至ります。江戸時代、門の南側に桑名藩の役人が詰めている番所が建てられており、諸大名の行列はこの門の前後から本行列に整えて、桑名城下に進みました。
天武天皇社と一目連神社
天武天皇社
西鍋屋町の一目連神社東海道はクランク状に曲り、新町へはいります。右手に寺院群を見ながら市立日進小学校まで来て、左手に曲がると右手に天武天皇社の鳥居が現れます。天武天皇社は、壬申の乱(672年)の際に大海人皇子(のちの天武天皇)が桑名に駐泊されたことにちなみ、建立された神社です。
西鍋屋町の一目連神社を過ぎ、矢田町で国道1号線を超えると、右手に桑名宿の入口に当たる竹田家があり、西国からの大名などが通行の際には、桑名藩からの役人が出迎えて、ここから案内をしました。また、馬をつないだ輪が今も街道に面して残っています。竹田家の西隣には立坂神社の一の鳥居が道沿いに建てられ北東に向かって参道がのびています。西矢田町まで進むと東海道は左手に折れ、町屋川へと進みます。
矢田立場跡
了順寺
矢田立場跡西矢田町の道の角には矢田立場跡が残されています。立場は、宿場と宿場の中間にあって、旅人が休憩する茶店などが集まっている所でした。町屋川へ向い街道を進むと、浄土真宗本願寺派の寺院了順寺、山門は桑名城から移築されました。
安永餅元舗付近さらに進んだ右手にある城南神社は、古来より伊勢神宮の遷宮ごとに内宮の一の鳥居と古殿舎の一部が贈られ改築されます。
右手に晴雲寺を見て、町屋川の手前の右手にある安永餅元舗付近は、町屋川を利用した舟客を相手の茶店が多くあり、安永立場といわれ、名物として「安永餅」が売られていました。
伊勢神宮常夜灯を過ぎると町屋橋跡に突きあたります。迂回して国道1号線上の橋を渡って対岸進むと、桑名市と別れを告げ、朝日町へと入っていきます。
朝日町へ
朝日町資料館
朝日町役場に置かれている橘守部の碑近鉄名古屋本線の踏切を超えしばらく進むと小向の交差点に到達します。交差点を右に曲がると、天明元年(1781)この地庄屋の長男として生まれた国学の大家、橘守部を合祀した神社、小向神社参道に入ります。左手に曲がると、橘守部の碑が置かれている朝日町役場や朝日町資料館があります。
浄泉坊山門の三ツ葉葵
浄泉坊また交差点を渡り少し行った右手にある浄泉坊は浄土宗本願寺派の寺院で、徳川家にゆかりのある桑名藩士の奥方の菩提寺になっていたことがあるといわれ、山門や瓦に徳川家の定紋三ツ葉葵が入っています。そのため、参勤交代の大名はこの寺の門の前では駕籠から降りて一礼したと伝えられています。
朝日川の手前にある常夜灯を過ぎ、橋をわたると四日市市にはいります。
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