東海道 宮宿 - Network2010

東海道

宮宿

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星崎の塩田

天白川と天白橋天白川と天白橋星崎 - 尾張名所図会(イメージ着色)星崎 - 尾張名所図会(イメージ着色)丹下町の常夜灯から約1.1km東海道を京に向かって進むと天白川にぶつかります。天白橋を渡って左手に星崎地区が広がっています。江戸時代、ここ星崎はすぐそばまで海が迫る浜辺でした。その浜辺に塩田をつくり塩作りが行われていました。ここで生産された塩は塩付街道を通じて各地に送られました。塩付街道の途中にある御器所村は大根の産地であり、星崎の塩を使って沢庵の生産が行われたといわれています。

笠寺の一里塚

笠寺の一里塚笠寺の一里塚天白川から約650m進んだ東海道の右側に両塚のうち1つが現存しています。名古屋で唯一の一里塚です。

笠寺観音

笠寺観音笠寺観音笠寺の一里塚から約400m東海道を進んだ右側に笠寺観音があります。笠寺観音は8世紀中頃に創建された真言宗の寺院です。尾張四観音の一つとして名古屋城を鎮守しています。江戸時代の様子は尾張名所図会にも描かれています。

富部神社と長楽寺

富部神社富部神社富部神社 解説富部神社 解説名古屋鉄道の踏み切りを超えた所を右に曲がり、線路とほぼ平行に直進すると塩付街道と交差します。東海道を左手に曲がり塩付街道に少し入ったところに富部神社と長楽寺があります。
長楽寺前の石碑に彫られた街道地図長楽寺前の石碑に彫られた街道地図笠寺観音からの距離はおよそ850m。富部神社は、徳川家康第4子で清洲城の城主だった松平忠吉の創建です。本殿は、国の重要文化財に指定されています。
長楽寺は弘仁12年(821年)に空海により創建されたと伝えられています。文明年間(1470年頃)に義山禅師が曹洞宗の寺院として再興したそうです(Wikipediaより) 。

白毫寺

塩付街道の交差から東海道を約600m進むと鎌倉街道と交差します。東海道から左に曲がり、鎌倉街道に入ってを250mほど進んだ所に白毫寺があります。白毫寺は年魚市潟(あゆちがた)と知多の浦を望む勝景の地とされており「年魚市潟勝景跡」の碑が建っています。年魚市潟とは熱田から鳴海の海岸の呼び名です。年魚市潟の「あゆち」が「あいち」に転じ、愛知県の名前の由来となったとされています。

呼続

山崎川山崎川呼続濱古覧 - 尾張名所図会(イメージ着色)呼続濱古覧 - 尾張名所図会(イメージ着色)東海道にもどり、鎌倉街道との交差から約700m進むと山崎川にさしかかります。このあたりは呼続とよばれ宮宿に向かう旅人に、船の出発を呼びついだとことが地名の由来とされています。

姥堂、裁断橋跡

裁断橋跡 解説板裁断橋跡 解説板橋が架かる裁断橋跡橋が架かる裁断橋跡山崎川を渡って約600m進み名古屋高速3号大高線をくぐります。ここから新堀川の手前まで東海道は国道1号線と重なります。新堀川の手前で1号線とは別れ東海道は左に分岐します。

新堀川を渡り、名鉄常滑線のガードをくぐると、かつての精進川と東海道が交差する場所に姥堂、裁断橋跡の記念碑が建っています。裁断橋は精進川にかかる橋で、その西に姥堂がありました。
「都々逸の発祥の地」の碑「都々逸の発祥の地」の碑姥堂と裁断橋 - 尾張名所図会(イメージ着色)姥堂と裁断橋 - 尾張名所図会(イメージ着色)姥堂は、若い僧侶の衣服を盗み、たたりで亡くなった老婆の霊を祀っています。また、この伝馬町付近は都々逸の発祥の地として知られており姥堂、裁断橋跡地に記念碑が建っています。

宮宿の中心へ

江戸時代の宮宿地図江戸時代の宮宿地図宮宿は熱田神宮のお膝元、本陣2、脇本陣1、旅籠248、家数2924軒、人口10342人の東海道でも最大規模を誇る宿場でした。伝馬町から神戸町にかけて本陣、脇本陣、問屋場、西浜御殿、船番所が建ち並んでいました。

その途中、熱田神宮を経て名古屋城下へ向かう美濃路と、七里の渡しへ向かう東海道に分岐する追分に面して知麻我神社(源太夫社)がありました。
現在、上知麻我神社は熱田神宮内に移転し、その場所にほうろく地蔵が奉られています。

築地楼上の遊興 - 尾張名所図会(イメージ着色)築地楼上の遊興 - 尾張名所図会(イメージ着色)明治時代の上知麻我神社(源太夫社)明治時代の上知麻我神社(源太夫社)源太夫社 - 尾張名所図会(イメージ着色)源太夫社 - 尾張名所図会(イメージ着色)内田町の海上には、西浜御殿と対をなすように東浜御殿が沖合を埋め立てて建設されていました。両御殿とも大名をもてなす貴賓館として使用されていました。
江戸時代の熱田は全国有数の歓楽街で、神戸町には高級料亭が建ち並び船出を待つ貴人や名古屋城下豪商の遊興の場となっていました。

七里渡し

七里渡船着 - 尾張名所図会(イメージ着色)七里渡船着 - 尾張名所図会(イメージ着色)七里渡し跡七里渡し跡七里渡しは、宮宿と桑名宿を結ぶ、東海道唯一の海路の渡し場として有名です。木之免町には朝夕、魚市場が立ち名古屋城下に魚貝類を提供しました。

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