東海道 御油宿 - Network2010

東海道

御油宿

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爪郷遺跡

豊川を渡り小坂井町に入り約1.4km過ぎた右側奥に、弥生時代中期から古墳時代前期(2000年前~1700年前)にかけての集落跡の爪郷遺跡があります。

姫街道

大社神社大社神社東海道と御油の一里塚東海道と御油の一里塚爪郷遺跡を過ぎ東海道を進むと豊川市に入ります。国府高校を通りすぎ、しばらく進むと大社神社と一里塚が見えてきます。爪郷遺跡を出て大社神社まで7.7km弱の距離です。

手前に姫街道、右奥に御油宿(御油歴史資料館のジオラマ)手前に姫街道、右奥に御油宿(御油歴史資料館のジオラマ)左右に東海道、手前から奥に姫街道が伸びている左右に東海道、手前から奥に姫街道が伸びている姫街道と東海道の追分にある看板姫街道と東海道の追分にある看板その先約250mの場所にある姫街道と東海道の追分には、秋葉常夜燈の傍らに追分道標が建っています。姫街道は、東海道見附宿(静岡県磐田市)と御油宿(愛知県豊川市)を結ぶ東海道の脇往還です。女性の往来が多いことから姫街道と呼ばれていたそうです。

御油の宿場

御油宿周辺地図(黄線が東海道)御油宿周辺地図(黄線が東海道)広重画「東海道五十三次 - 御油(旅人留女)」広重画「東海道五十三次 - 御油(旅人留女)」旧御油橋、現在の五井橋を渡ると東海道五十三次35番目の宿場として栄えた町並み約1.3km御油宿の中心部。吉田より約10km、本陣 2軒、脇本陣なし、旅籠62軒・総家数 316軒・人口 1,298人であったといわれています。
本陣は最盛期には4軒もあり、東海道の宿のなかでも上位に数えられます。また広重が描いたように御油や赤坂には飯盛女が多く、「留女」の客引きで有名な場所でもありました。

日本の近代医学の祖ベルツ博士の妻、花のふるさと

ベルツ博士の妻花の実家跡ベルツ博士の妻花の実家跡高札場跡高札場跡姫街道の追分から約300mにある五井橋(旧御油橋)を過ぎ、市立御油保育園の敷地に高札場跡の看板が立っています。
その手前の角には日本の近代医学の祖と言われたエルウィン・フォン・ベルツ博士(1849 -1913)の妻花の実家跡の表示があります。花は日本人として国際社会で活躍した先駆者の一人とされています。

御油歴史資料館

問屋場跡問屋場跡鈴木半左衛門が営んでいた本陣跡鈴木半左衛門が営んでいた本陣跡高札場跡を右に曲がり50mもいくと問屋場跡の看板があらわれます。さらに約50m進み愛知県道374号線と交差し、左に30m入った街道の左に本陣跡があります。道を挟んだ北東200mの音羽川沿いには御油歴史資料館があり、御油宿に関するさまざまな資料が展示されています。

東林寺

東林寺 山門東林寺 山門東林寺 本堂東林寺 本堂東林寺 解説東林寺 解説音羽川に沿って約600m先に御油松並木天然記念物の標識があります。そこから約600m、街道の両側には徳川家康が約650本の三河黒松を植樹させた松並木が続きます。箱根の杉並とともに東海道随一の景観を誇っています。松並木を過ぎると赤坂宿に入ります。

御油松並木

松並木入り口に立つ石碑松並木入り口に立つ石碑御油の松並木御油の松並木音羽川に沿って約600m先に御油松並木天然記念物の標識があります。そこから約600m、街道の両側には徳川家康が約650本の三河黒松を植樹させた松並木が続きます。
箱根の杉並とともに東海道随一の景観を誇っています。松並木を過ぎると赤坂宿に入ります。

動画

http://www.youtube.com/v/WZZVwT4GqZY
東海道 御油宿~赤坂宿
御油宿と赤坂宿周辺を動画で紹介しています。