連載
-
2012年5月18日 NEW
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第4回「四十八祖社」
北区郷土史研究会の刊行した『田幡志』に、次のような記述がある。 昔志賀村の城主平手中務太輔政秀諌死の後、其息某勘気をこうむれることありて、久しく赦免なかりしが、其臣某等度度赦免を請へども不赦ければ今は力尽き、四十八人自殺して...
-
2012年5月11日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第3回「霊源寺」
曹渓山霊源寺は曹洞宗の古い歴史のある寺である。元は千種区古井の光正院の末寺で、始め万亀山大福寺と称していたが宝暦十年(一七六〇)今の寺号に改められた。霊源寺の墓の中には林立している墓碑を見下ろすようなかたちで、二基の墓碑が立ってい...
-
2012年5月4日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第2回「東高寺」
曹洞宗、東高寺は元亀二年(一五七一)の創建である。本尊の薬師如来は、病難救済と安産加護の仏様として崇拝をうけている。聖徳太子が彫刻をされたものといわれている。薬師如来は、近江の国、志賀の里に安置されていて、かの地の人々の厚い信仰を...
-
2012年4月27日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第8講 志賀の里 第1回「林泉寺」
田幡城の跡地(金城小学校、校門の側に林泉寺跡の碑がある)に、熱田の田中の地にあった永泉寺が移転してきたのは、享保十二年(一七二七)のことである。田幡城の跡地は、原田佐忠の別荘地であったが、彼の熱心な勧請によって、裁判までも起こして...
-
2012年4月20日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第7講 下飯田の昔 第6回「清蓮寺」
一本の道を隔てて、下飯田の町は様相を一変させる。道路の北側には高層建築がそびえている。南側には自動車が通ることができないような路地をはさんで、昔ながらの家並みが続いている。道の北側の地には、明治から大正にかけて田園地帯を埋めたてて...
-
2012年4月13日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第7講 下飯田の昔 第5回「天王社」
観音寺の門前に小さな社が祀られている。愛知県の各地に見られる、津島神社から勧請した牛頭天王を祀る社だ。流行病にかかったら一家全滅、村中全滅となってしまう。牛頭天王は流行病から人々を護る神として崇拝をうけた。 村を病気から護っ...
-
2012年4月6日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第7講 下飯田の昔 第4回「観音寺」
いかにも下町といった風情のただよう下飯田の町の中に、ひっそりとたたずんで建っている観音寺の歴史は古い。『北区誌』(昭和三十九年刊)には、「むかしは安国寺といって、聖武天皇が国家安穏、諸民の安福祈願のために建てられた安国寺の一つであ...
-
2012年3月30日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第7講 下飯田の昔 第3回「六所社」
今でこそ住宅地となっている下飯田の地であるが、昔はのどかな田園地帯であった。春にはあげひばりが舞い飛び、秋には水鶏の鳴き声が聞こえてきた。下飯田の村の中を御用水、黒川、大幸川、前の川が流れていた。しかし、戦後、御用水は遊歩道となり...
-
2012年3月23日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第7講 下飯田の昔 第2回「成福寺」
御用水跡街園の中を流れる堀川に瑠璃光橋が架かっている。長さは十三・五メートルの短い橋であるが、幅は十七メートルもある。御用水跡街園の中では、夫婦橋についで大きな橋だ。今では車が何台も行き交うなんでもない橋になっているが、かつては、...
-
2012年3月16日
沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第7講 下飯田の昔 第1回「川上絹布跡」
「ビョウキ スグキテホシイ」鏡台の前に座り、貞奴は福沢桃介からの電報をじっと見つめていた。名古屋に腰をすえて事業を始めた桃介は、これからの人生を共に歩むのは貞奴しかないと考え、舞台の上に立っている貞奴に、無理を承知で電報をうったの...











