沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第20講 杉村界隈 第2回「西行橋 杉ノ宮神社」

西行橋 杉ノ宮神社

杉ノ宮神社

杉ノ宮神社

※この文章は2004年3月に執筆されたものです。

ふりつもる 雪の小夜風寒くして 人も音せぬ宮の松ケ枝

杉村八景の一つ、八幡暮雪の大日の森を詠んだ歌である。

杉村の里、修蒼と茂る大日の森の中に八幡社が鎮座していた。現在の清水小学校の地にあった八幡社が、寛永七年(一六三〇)の創建と伝えられる神明社と合祀したのは明治三十九年(一九〇六)のことである。

杉の宮の境内を歩いていて、一つの石碑を見つけた。西行橋があったことを記したものである。 西行橋について『金鱗九十九之塵』は、次のように記している。

西行橋、一名捨橋という。町はずれの石橋である。川の中にある西行法師の石像は、竹腰家の家来江口庄右ヱ門が建てたものである。 ある人が、この橋の名前は西行橋ではないといった。それは、昔、御城御普請の時、この場所で人足人夫の裁許をしたので裁許橋というのだという。 子どもを、この橋の上に捨てるとその子は長生きができるという伝説がある。また、この橋の上で祈願をして、その願いが成就した時に、西行法師の土人形を、この流れに捨てるという風習がある。その風習のために捨橋と いうのであろうか。西行橋という名前がなぜついたのか、くわしくはわからない。 考えてみると、ここは西行法師が東下りをした時の道筋であろうか。ここの北、上原村に西行堂という土橋があ る。また、小牧山などでも西行法師が歌を詠んでいる。

杉ノ宮神社 拝殿

杉ノ宮神社 拝殿

西行橋で、子どもを捨てると長生きができるという風習は広く伝わっていたようだ。 『尾張名陽図会』も次のように、その風習を伝えている。

子どもを、この橋の上に置いて、しばらく親が脇に隠れて、また橋にやってきてその子どもを連れて帰ることが ある。これは、子どもをこの橋の上に捨てる真似をするのである。ここに一度捨てた子どもは寿命が長く、無病 であることが昔より言い伝えられている。それゆえに、この橋を捨橋と呼んでいる。

子どもを橋に捨てるという風習だけではない。『松涛筆(しょうとうとうひつ)』は、次のような風習を伝えている。

志水町の町はずれに小さな溝川があった。この橋を西行橋という。この川の水を子どもに飲ませると疱瘡(天然痘)にかかっても軽くてすむという。またほかの病気にも、この川の水を飲ませるとかからないという。 この川は西行川ともいう。最近、橋の西側に棚を造り、そこに西行の像を置いた。西行の像に願いごとを祈り、 願がかなった時には、土細工の西行の一文人形をお礼に納めた。小さな壷に酒を入れて、お礼に供えた。

西行川は、現在の清水小学校の北側を流れていた。稲置街道に架かる橋が西行橋であり、橋の傍に西行堂があった。

境内を出て、西行橋のあったあたりを探して歩く。煙突が空高くそびえている。この地に古くからある銭湯の煙突だ。 銭湯の煙突ほど人々のくらしを感じさせる風景はない。煙突の見える風景は、しだいに町から消えてなくなってゆく。 煙突が風景になじんでいる杉の宮界隈は、何かノスタルジアを感じさせる町だ。

西行橋について書かれた碑

西行橋について書かれた碑

地図


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