吉田隆之の「あいちトリエンナーレこぼれ話」第2回「長者町の『風』となった若者達」

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前回は私が職務として関わったあいちトリエンナーレ2010の開催経緯と、とくにアート界では全国の伝説ともなったKOSUGE1-16の山車にまつわる話を振り返りました。今回は私が博士号を取得した経緯とあいちトリエンナーレ2010終了後、あいちトリエンナーレをきっかけに長者町に関わることとなった若者らの活動を紹介します。

著者プロフィール

なぜ博士号を取得したのか

それまで愛知県病院事業庁がんセンター中央病院で経理を担当していた私は、2009年4月から愛知県県民生活部文化芸術課国際芸術祭推進室に配属されました。主に隣接都市空間の展開と、企画コンペを職務として担当します。その段階で隣接都市空間とは、愛知芸術文化センター界隈のオアシス21やテレビ塔を指し、長者町地区を含むか否かは必ずしも明確ではありませんでした。ところが、建畠晢芸術監督が長者町地区を会場とすることを強く推したこともあり、その後長者町地区の展開が筆者の主担当となります。関心分野である芸術文化とまちづくりが重なり、本気で仕事をしたいと思っていました。

とはいうものの、愛知県があいちトリエンナーレを一文化事業として進めていたのが気になっていました。横浜市や神戸市などでは、都市政策としても位置づけたうえで国際展を開催しています。また、政策が一元的であれば首長の交替や経済情勢などにより容易に政策転換されてしまう可能性も高くなります。

10数億円以上の税金を使う自分の関わる仕事が、その方向性が正しいのか、また、方向性が違うならばビジョンを考え、受け皿としてNPOを立ち上げたいとも思いました。そうした思いで2010年度から東京藝術大学の扉を叩いたのです。

東京藝術大学音楽研究科音楽文化学専攻芸術環境創造分野とは

私が通った研究室は、東京藝術大学音楽研究科音楽文化学専攻芸術環境創造分野に属します。東京美術学校と東京音楽学校は、明治以降日本の美術家、音楽家、教員の養成機関として日本の美術と音楽を牽引してきました。戦後両校を統合して設立されたのが東京藝術大学です。

2000年以降は、旧来の美術と音楽に収まらない分野を包括する総合芸術大学へと改革を進めています。そうした流れのなかで、2002年音楽学部に音楽と様々な隣接分野を学ぶ音楽環境創造科が取手キャンパスに設置されます。2006年にその修士課程が設置されると、同年9月に旧千寿小学校を改装して作られた北千住キャンパスに移転し、2008年には博士課程として音楽音響創造研究分野・芸術環境創造研究分野が設置されます。

東京藝術大学北千住キャンパス

東京藝術大学北千住キャンパス

博士号を取得するには

芸術環境創造研究分野博士課程に職務を続けながら2010年度から3年間通うこととなりました。博士課程では、もちろん講義もありますが、博士論文の作成が一番の目的です。名古屋の自宅では、帰宅後の時間や休日を執筆の時間にあて、月1回程度博士ゼミに通いました。キャンパスのある北千住は東京の下町です。JR北千住駅から大学のキャンパスまでは、飲食店、スナック、猥雑な店が、狭い路地を挟み、数百メートルにわたり立ち並んでいます。ほとんどが日帰りでしたが、そうした飲食店で一杯飲んで帰るのが楽しみの一つでした。

大学のキャンパスと駅を結ぶ北千住の飲食店街

大学のキャンパスと駅を結ぶ北千住の飲食店街

博士号を取得するには、博士論文を書かねばなりません。博士論文を書くには、レフェリーの審査がある論文を少なくとも数本は執筆し、しかも、研究テーマにそって体系立てる必要があります。

博士課程は3年ですが、3年目の10月には完成した博士論文を提出しなければなりません。1年に1本以上論文を書く必要があります。3年で博士論文を書き上げるのは相当厳しいと言わざるを得ません。それでも何とか3年間で書きあげ、学位審査会での口頭試問を経て、2013年3月に博士号(学術)の学位が授与されました。

もちろん、当初から順調だったわけではありません。2010年4月入学後、あいちトリエンナーレ2010の実践で忙しいこともあり、論文に必須の先行研究や仮説が十分に捉えられない状況が半年間続きました。

転機となったのが、前回紹介したあいちトリエンナーレ2010長者町会場の展開です。関わる人たちの意思を遥かに超えて、アートによってまちや人が変容していくプロセスを書きとめ、世に伝えたくなりました。長者町の事業者らが、アーティストが制作した山車の練り歩きを毎年継続していることは前回紹介しましたが、それ以外にもあいちトリエンナーレ2010をきっかけに若者らが長者町でアートやまちに関わる様々な活動を継続します。若者らの活動については、この後に触れますが、まちに背中を押されるように筆が進みました。

あいちトリエンナーレ・サポーターズクラブの立ち上げ

では、あいちトリエンナーレ2010をきっかけに長者町に関わることなった若者らの活動を紹介していきましょう。

2009年秋にあいちトリエンナーレ2010の広報を目的として長者町地区でプレイベントを実施しました。その後も、広報やボランティアの確保を目的として地元のアートシーンに関わってきた人たちを講師としてトリエンナーレスクールを長者町地区などで開催していきます。

そうしたなかで、ボランティアスタッフとして雑務をこなすだけでなく自分たちで様々なイベントを企画したいとの声が自然発生的に生じてきました。そうした声を受け、私がその立ち上げに関与したのが「あいちトリエンナーレ・サポーターズクラブ」です。長者町会場の一つである万勝S館1階を拠点とし、その設置・運営等事業費は国の緊急雇用事業を充てました。

万勝S館1階にはATカフェが設けられ、期間中、サポーター、観客、ないしは、まちの人たちが憩い、交流する場となった。のちに、この場所にアートセンター「アートラボあいち(ALA)」が設立されるきっかけともなる。

万勝S館1階にはATカフェが設けられ、期間中、サポーター、観客、ないしは、まちの人たちが憩い、交流する場となった。のちに、この場所にアートセンター「アートラボあいち(ALA)」が設立されるきっかけともなる。

キックオフ・ミィーテングが2010年7月1日(木)に愛知芸術文化センター12階アートスペースAで開催され、80名を超える参加がありました。このミィーテングをきっかけに、サポーターズクラブは、会員が企画・運営にも関わり、楽しみながら参加できる様々な事業を実施することを通して、次回トリエンナーレに向けた継続的な活動を目指しました。最終的に、登録者は5,373人を数えました。

関連リンク:LOVEトリーズ|キックオフミィーテング

spectra[nagoya]MAP/スペクトラ[名古屋]・マップ

そうした活動のなかで、毎週火曜日サポーターたちが集まり、「火曜日活動と」として自ら企画・運営を行っていきます。

関連リンク:LOVEトリーズ|火曜日活動

ここでは代表的活動である三つの取り組みをについて紹介していきます。

一つ目が「spectra[nagoya]MAP/スペクトラ[名古屋]・マップ」です。 「都市の祝祭」というテーマのもと、都市空間でのスペクタクルな作品の展開があいちトリエンナーレ2010の特徴の一つでした。

スペクタクル作品の一つとして、池田亮司が名古屋城二の丸広場で9月24日、25日の2日間、成層圏まで到達する64台のサーチライトによる強烈な白色光と、10台のスピーカーから出力される音の波を組み合わせたインスタレーションを行います。spectra[nagoya]と呼ばれた作品は、成層圏まで届くとされ、計算上は半径375kmの距離まで肉眼で確認することができるとも言われました。

池田亮司《spectra[nagoya](スペクトラナゴヤ)》(2010)

池田亮司《spectra[nagoya](スペクトラナゴヤ)》(2010)

関連リンク:あいちトリエンナーレ2010 レポート 6 池田亮司「spectra[nagoya](スペクトラナゴヤ)」

各地域にいるサポーターやそのつながりで、実際に「どこまで確認できるのか」を一つのマップに表示できないか、そうしたアイデアをサポーターが手探りで企画として実現していきました。結果として、259枚の画像が提供されます。直後の28日に開催された交流パーティ「スペクトラナゴヤナイト」では、富士山の5合目が見えたとされる写真も紹介されました。

関連リンク:LOVEトリーズ|スペクトラナゴヤマップ

夜の長者町探検

志村信裕《ribbon》(2010)

志村信裕《ribbon》(2010)

二つめが、「夜の長者町探検」です。

長者町地区では、志村信裕が長者町通沿いに庇が多いことに着目し、その波板をスクリ ーンとし、日没後に鑑賞できる映像作品《ribbon》を制作しました。

また、淺井裕介は同会場の喫茶クラウンや長者町繊維卸会館などでテープを用いて成長 していく植物画《マスキングプラント》や泥絵《室内森/土の話》を制作していましたが、 今回はビルの壁面に夜間の映像作品も制作しました。

このように長者町地区では、夜間のみ、もしくは、夜間でも鑑賞できる作品が多く設置 されていました。そこで、昼間に鑑賞できない参加者や、仕事帰りの人を対象にした鑑賞 ツアーを「夜の長者町体験」と称してサポーターが自主企画したのです。9月中旬から毎週 金曜日計5回開催され延べ100名以上が参加します。

  • 淺井裕介《室内森/土の話》(2010)

    淺井裕介《室内森/土の話》(2010)

  • 淺井裕介《ビッグハンド》(2010)撮影:三浦一倫

    淺井裕介《ビッグハンド》(2010)撮影:三浦一倫

関連リンク:長者町プロジェクト2009(淺井裕介《マスキングプラント》の写真)
                 あいちトリエンナーレ2010 レポート 1

ワールドカフェ「あなたのトリエンナーレを聞かせて」

三つめが、ワールドカフェ「あなたのトリエンナーレを聞かせて」の開催です。

あいちトリエンナーレ2010の会期終盤となった10月28日に、サポーターズクラブのメンバーが集まり、トリエンナーレを振り返る集いを開催しました。ワールドカフェでは小グループに分かれ、時間を区切ってグループのメンバーを少しずつ変えていきます。

また、参加者ができる限り時間を同じくしてその思いや意見を話せるように、この日は机の真ん中に置いたリンゴを持っている人だけがしゃべる権利を持つというルールを作りました。

約30名が参加し、ひとりひとりとっての「トリエンナーレ」を語る時間を共有し、それぞれにトリエンナーレ終了後の思いを新たにしたのです。

  • ワールドカフェ「あなたのトリエンナーレを聞かせて」

    ワールドカフェ「あなたのトリエンナーレを聞かせて」

  • 参加者の思いをリンゴ型の付箋にしたため、1枚の模造紙にまとめた。写真右はサポーターズクラブ事務局スタッフ永尾美久

    参加者の思いをリンゴ型の付箋にしたため、1枚の模造紙にまとめた。写真右はサポーターズクラブ事務局スタッフ永尾美久

長者町の「風」となった若者らの活動

こうした期間中の活動がきっかけとなり、あいちトリエンナーレ2010終了後、彼らが「長者町まちなかアート発展計画」「Arts Audience Tables ロプロプ」「長者町ゼミ」など様々なグループを立ち上げ、長者町でアートイベントやシンポジウムなどを継続的に開催していきます。

「Arts Audience Tables ロプロプ」がオーディエンスとしてパワーアップをするため ゲストに話を伺う「オーディエンス筋トレテーブル」を定期的に開催。2012年7月27日は林健次郎(春日井市民文化財団/当時)を講師に迎えた。撮影:三浦一倫

「Arts Audience Tables ロプロプ」がオーディエンスとしてパワーアップをするため ゲストに話を伺う「オーディエンス筋トレテーブル」を定期的に開催。2012年7月27日は林健次郎(春日井市民文化財団/当時)を講師に迎えた。撮影:三浦一倫

長者町の人たちは「何がよくて(若者らが)このまちに来るのか」と戸惑いつつも、徐々にこうした若者らとまちの人たちの交流の場も設けられるようになります。2013年3月には「ワカモノとまちが出会うしゃべり場企画」として「長者町のイマ~まちのウゴキが体感できる」が開催され、約30名が参加しました。これは、町内会が初めて主催するシンポジウムともなりました。

まちづくりには、もともと地域にいる「土」の人に加え、外から地域にやってくる「風」の人が必要だとよくいわれます。若者らが「風」として、「長者町」のまちづくりを起爆させる触媒となったのです。

事業者らが山車の練り歩きを毎年継続していくことと併せ、若者らのグループが長者町でアートやまちに関わる活動を継続していることは、アートがコミュニティ形成に顕著に影響を与えた事例として全国的に注目されているところです。

次回は私が一市民として関わったあいちトリエンナーレ2013についてお話したいと思っています。

【参考文献】有限会社オフィスマッチングモウル『緊急雇用創出事業基金事業「あいちトリエンナーレ2010サポーターズクラブ設置・運営事業」業務報告書』2010年

連載:吉田隆之の「あいちトリエンナーレこぼれ話」
第1回「長者町に根付いたアート山車」
第2回「長者町の『風』となった若者達」
第3回「参加して楽しもう!トリエンナーレ」
第4回「あいちトリエンナーレは何を目指すのか」
トリエンナーレはなにをめざすのか 都市型芸術祭の意義と展望 (文化とまちづくり叢書)吉田隆之
関連書籍「トリエンナーレはなにをめざすのか:都市型芸術祭の意義と展望
  • 著者:吉田隆之
  • A5判並製 304頁
  • 本体 3,000 円+ 税
内容紹介

あいちトリエンナーレ。この10億円以上の税金を使う大がかりなアートプロジェクトの方向性は正しいのか。横浜や神戸のように都市 型芸術祭を創造都市政策上に位置づけたからといって、必ずしも継続性が担保されるわけではない。このような文化事業は首長の交替や経 済情勢などにより容易に政策転換されてしまう可能性がある。

著者は愛知県職員として、2009年からあいちトリエンナーレの隣接都市空間の展開と企画コンペを担当。メーン会場となった名古屋市中区長者町地区では、トリエンナーレをきっかけに地区内外で若者らの コミュニティが次々と生まれ、その数、自発性、変容のスピード感などが、他のアートプロジェクトに比べ半歩抜きん出ているように思われた。 その一方であいちトリエンナーレ開催後、札幌市・さいたま市・ 京都市など多くの都市型芸術祭が新たに開催・計画されたが、これらの国際展に対して均質化・陳腐化が指摘されている。

本書は、長者町地区で起きた地域コミュニティ形成の面での効果と「トリエンナーレが何を目指すのか」、ひいては都市型芸術祭の今後の方向性に焦点を当て、その意義と継続の道筋を示す。

吉田隆之(よしだたかゆき)
吉田隆之

1965年神戸市生まれ。京都大学法学部卒業。愛知県職員。愛知県庁入庁後、へき地校、がんセンター等で経理事務を担当した。へき地校赴任の際は、地域活性化を目的としたNPO法人稲武未来塾を生徒の父母らとともに立ち上げた。文化芸術課国際芸術祭推進室で主にあいちトリエンナーレ2010長者町会場を担当。職務の傍ら、2010年京都大学公共政策大学院修了。2013年東京藝術大学大学院音楽研究科博士後期課程音楽文化学専攻芸術環境創造分野修了。公共政策修士(専門職)、学術(博士)。主な著書に「トリエンナーレはなにをめざすのか:都市型芸術祭の意義と展望」。研究テーマは文化政策、アートプロジェクト、芸術祭。

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