服部 敦 中部大学教授インタビュー要約
名古屋三の丸ルネッサンス期成会を有志でつくり三の丸の再整備を推進して行こうという運動を展開しています。この会は、まちづくりに関心のある学識経験者や名古屋商工会議所、中部経済連合会をはじめとした方々の賛同を得て結成しています。三の丸の官庁の建て替えが数年前からうわさされており、この期になにもしないと名古屋の街づくりが50年、100年遅れてしまうという危機感があったので、4、5年前から勉強会を始めまして、そこに参加していただいた方がこの会の中心メンバーとなっています。勉強会を始めたころは、まったく火も煙も立っていなかったのですが、官庁施設の建て替えが段々と本格化してゆき、いよいよ待ったなしといった状況になるなかで、会として動きをはっきりさせただ勉強をしているだけでなく、国の官庁、愛知県、名古屋市など関係する機関に働きかけて実現に向けて動き出そうという目的でこの期成会を立上げました。
城郭のなかにある一団となった官庁街は全国にいくつかありますが、おそらくこの名古屋三の丸は東京の霞が関に次ぐ日本で二番目の規模を誇ります。愛知県庁と名古屋市役所があり、国土交通省、農林省、財務省、経済産業省など、ありとあらゆる官庁の施設が三の丸にあります。その建物もかなり老朽化し耐震性も下がっており建て替えの時期に入っています。しかし、建替え時期にただ官庁の施設として建て替えてしまえば、今までのように都心のにぎわいを失ったまま50年、100年経ってしまうので、この時期にしっかり考えて名古屋の街づくりに貢献するように官庁の建て替えを行うことが非常に重要なことだと考えています。官庁街としてのまとまりは失いたくないと思いますが、かといってすべて低層利用での建て替えということではもったいないので、あるていど集約していく、官庁施設を集約しながらそこに新しい機能を入れていくことが必要だと思います。
リニア新幹線が開通し国際都市になるなかで、情報発信とか文化交流という機能が必要になってきます。 隣接する名古屋城とか本丸御殿などのユニークな施設も利用したカンファレンス(会議)とかマイス(MICE)機能、これは最近ユニークベニューと言われ、歴史的な施設も活用しつつ、新しい施設を活用して文化交流をする、官庁街を集約しながら情報発信や交流機能をいれてゆくことも必要だと考えます。
三の丸には愛知県庁や名古屋市役所がありますが、昭和初期に建てられたユニークな建物で重要文化財に指定されています。現在は役所として使用されていますが、それをもっと良い形で使っていく、例えば迎賓的なホテルとか名古屋にはない国立の博物館とか美術館などに転用する形で使ってゆくことが望まれます。このような形で三の丸の再開発が進めば、都心のにぎわいがつながってゆくことになると思います。
関ケ原の戦い後、徳川家康が清州から名古屋台地北端に遷府しましたが、なぜここを選んだかといえば地盤が良かったからです。いまこの地域で南海トラフ地震が非常に心配されていますが、三の丸地区はかなり丈夫でしっかりしており防災拠点としても重要です。日常時はにぎわいの創出、災害時には広域的な防災拠点として機能を発揮する。その両面があることが三の丸地区のいいところです。
リニア開通により東京が近くなり、またコロナ禍により都市の密度を下げてゆく方向にこれからの街づくりがなってゆくなかで、名古屋にも業務機能を移転し、東京と名古屋をつないでゆくことが重要だと思います。そのためには名古屋の都心の魅力を高めて行くことが重要になってきます。名古屋駅前や栄地区で業務機能が上がってゆくわけですが、業務機能というのは、ただオフィスをつくれば良いわけではなく情報発信とか交流などの機能がすぐ傍にないと魅力がありません。ヨーロッパの都市を見れば 分かるように、パリとかロンドンとかすべて歴史性があって尊敬を集めて世界から人が集まっています。名古屋も日本のなかでは非常に歴史のある都市ではありますが、戦後の都市整備のなかで埋もれてしまった面があります。城下町の最初の出発点である三の丸で、歴史的な部分にもしっかり配慮した形で街づくりがおこなわれ、名古屋城を核として歴史的な文化の発信、交流が行われれば名古屋の都市としての価値が上がり、世界からも国内からもリスペクト集め人も集り、それによって業務機能の高まりも期待できると思います。
名古屋市はSRT構想(Smart Roadway Transit)で、都心を路面交通で回遊性を持って結んで行こうと考えています。名古屋駅と栄地区を直線で結んでしまっては回遊性は生まれないので、少しまわらなくてはならないことになります。そのまわって行く所のコアーの部分に名城地区が位置しています。名古屋城単体ではなく、名古屋の街全体を魅力的にして行くためには、三の丸地区を生かす必要があります。
今までの名古屋の街づくりは東西の軸、名古屋駅と栄を結ぶ軸が戦後発展してきました。しかし城下町の本当の軸であった名古屋城から金山を通って熱田に至る本町通という軸が、現代の街づくりのなかで少し忘れ去られて来ました。三の丸の街づくりを起点として南北を結んで行く街づくりが始まって行き、名古屋の都市としての広がりや魅力が生まれることを期待したいと思います。