大画面でご覧になりたい方はYouTube Network2010で
INDEXへ
- シリーズ「変貌する名古屋城」Menu
- ①よみがえる名古屋城本丸御殿
- ②本丸御殿整備担当に聞く
- ③本丸御殿木工事
- ④伝統技術の継承-左官工事
- ⑤金具の製作と取り付け
- ⑥名古屋城の石垣
- ⑦二之丸庭園整備
- ⑧ボランティアガイド
✰他のシリーズもご覧ください✰
インタビューの要約
魚津社寺工務店の足跡
初代は富山県の滑川から冬の間仕事がないので、こちらに出稼ぎに来てそのまま居つきました。現在のような社寺の仕事ではなく町屋の仕事大工をしていました。ちょとした座敷とか茶室を作ってくれとかいう仕事をやっていました。先代にあたる私の父がそんなことではいけないと思い請負も始めたいと祖父にいいましたら、「そんな恐ろしいことを始めたら、親子の縁を切る」と言われたそうです。父は経歴のある人と同じことをしていたら駄目だと思い、大学の先生で武田五一という先生に教えを請うため1週間座り込んで許されたそうです。建築を学問的にやった方は、系統的に話されるので先代にとっては大いに勉強になったと思います。
本丸御殿復元工事への思い
今から30年程前だと記憶していますが、名古屋城の本丸御殿が復元できるという話を聞きまして、当時私は40歳そこそこでしたが、私がこの仕事を請けれるようにするには、どうしたら良いのかと考えました。それにはもう一度、若い職人を一から自分の手で育てて みようと決心しました。1期生が入って現在(2015年)30年以上経ちますが、職人とはこういうもんであるという自分の考えをもとに養成を手がけました。私自身は大工ではありませんが、子どもの頃から職人の仕事を見るのが好きで、どうしたら出来るのかを分かっているつもりです。完成したものもパーツの集まりなので、難しい理論ではなく大事なことはその一つ一つをいかに丁寧に作るかということです。
入って四、五年は雑役ばっかりです。それに耐えられない子、もっとかっこいいと思っていた子は辞めてしまいます。最初は60人~70人 いましたが、結局残った子は40人くらいです。
復元工事始まる
名古屋城本丸御殿の工事は、昔のものの復元なので復元に必要な設計図も残っていると考えていましたが詳細な図面はありませんでした。結局、ひとつひとつ棟梁が図面を描き、それを施主に見ていただいて意見を伺いながら進めることになりました。
最初の1年くらいは、どうやって進めるか、また材木がとてつもなく良いものが入っているので、ちょっと間違えて加工したら何百万の損害を与えてしいます。いきなり難しいことはできないので、馴れてくるまで少し時間を頂きたいとお願いしました。しかし、この現場はいきなり難しいことを本番でやることを要求されましたので、最初のうちはピッチが上がりませんでした。
そんな期間が半年ほど続きましたが、だんだんと馴れてくると、作る職人とお客さんとの掛け合いが始まってきます。これが始まると自然にムードがあがります。「こんな風に作ったんですがどうですか?」と尋ねるとお客さんの方からコメントが返ってきます。ここのお客さんは、まことにもって日本一厳しいお客さんで、非常に良くものを見られます。私はそのことが分かりますが、うちの子どもたちは中々それが理解できませんでした。最初はブーブー、ブーブーお客さんが難しいことを要求すると漏らしていました。いいものを作るには、それが必要なんだと言うことが分かるようになってくると、一々声をかけることなくお客さんの顔色を見ながら掛け合いをしながら作業をするようになってきした。
職人の心意気
次の世代の人に「こんな仕事をしたのか」と言われることが嫌なので、いい加減な気持ちではいけないと言い聞かせています。木を削るときも、「このやろう、このやろう」という気持ちでやったら見栄えがどんなによくても痛んでしまいます。「かわええ、かわええ、よくやってくれた」という気持ちでやると、カンナで削ってもツルツルに仕上がります。その気持ちが第1期工事でどの辺まで伝わったかわかりませんが、少なくとも私は自分の目で見て、うちの子どもたちは良くやってくれたと感じています。大工が先頭を切ると、壁屋さんも、屋根屋さんも、大工に負けるなと頑張ります。これも職人同士の掛け合いです。自分のやったことは釘1本打っても「俺がやったんだ!」というのが「ものづくり」の職人の魂です。名古屋城本丸御殿の復元工事は日本一を誇るのではなく、こういった職人の心意気でこれを作って世界に誇れるものを作りたいと思っています。