大正時代の日本(1912~1926)
大正4年(1914)第一次世界大戦が勃発しました。日本は、日英同盟によりイギリス政府からの要請を受け参戦し、戦勝国の一員となりました。日本本土は戦災を受けなかったこともあり、新興国家米国とともに生産拠点として貿易を拡大させ、日本経済は空前の好景気となりました。これにより軽工業から重工業へ産業構造を転換するきっかけをつかみました。
大正12年(1923)の関東大震災は東京に大きな被害をもたらしました。震災後、内務相後藤新平が都市計画に手腕をふるい近代都市へと変貌しました。都市部を中心に大衆文化が成立し、日本人の生活様式がおおきく変わっていったのもこの時代です。
大正時代の名古屋市の人口推移
全国第3位の大都市への躍進
大正8年(1919年)4月5日に都市計画法と市街地建築法が公布され、全国一律に都市計画を実施することになりました。
大正10年(1921)には、千種町、東山村、中村町、愛知町、常盤村、御器所村、呼続町、笠寺村、八幡村、荒子村、小碓町、六郷村、清水町、杉村、金城村、枇杷島町の16町村が名古屋市に編入され、名古屋市の市域面積は東京市の2倍、人口は60万を超え東京・大阪につぐ全国第3位の大都市になりました。
それにあわせて、明道線、高岳線、岩井線、千早線、大津町線などの5大幹線道路の建設も始まり大正13年(1924年)にすべの完成にいたりました。
大正15年10月(1926)には中川運河の開削工事も始まり、昭和5年(1930)に完成しました。
明治40年(1907)の名古屋港開港後、明治43年(1910)に第1期工事が完了し同年第2期工事が始まりました。翌年には、名古屋駅と名古屋港を結ぶ名古屋臨港線が開通し都心と港が鉄道で結ばれました。
第2期工事は大正9年(1920)に竣工、引続き1万トン級の船舶の入港を可能とする目的で第3期工事にとりかかり、8年の歳月をかけ昭和2年(1926)完成にいたりました。