名古屋市役所の移転(昭和8年)
百万都市達成を成しとげ、老朽化の激しい旧庁舎からの新築移転が決定されました。路面電車も延長され、昭和8年(1933)10月鉄筋コンクリート造の現代建築に和風の瓦屋根を載せた帝冠様式の新市庁舎が竣工しました。
昭和13年(1933)には、南隣に愛知県庁も移転します。
名古屋市役所と愛知県庁(名古屋広小路ものがたり)
新名古屋駅の建設と桜通の開通
昭和12年(1937)は名古屋のインフラ整備が急速に進んだ年でした。同年2月には旧駅舎(笹島)の北西に地上6階地下1階の新しい名古屋駅が新築され、桜通も完成しました。
3月には東山公園は東山動植物園もオープンし、臨海地帯で開催される名古屋汎太平洋平和博覧会を迎えます。
日本は昭和15年(1940)皇紀2600年を迎えるにあたって、夏季オリンピックと万国博覧会の同時開催を東京市で予定していました。
100万都市となった名古屋市でも、国際的な博覧会を開催しようといった機運が起こり、名古屋汎太平洋博覧会が昭和12年(1937)3月15日から5月31日までの78日間の会期で開催されることになりました。
会場は名古屋港北の臨海地帯熱田前新田、外国の客を迎えるため英会話の講習も行われました。
参加国は29カ国にのぼり、産業本館・貿易館などの主系陳列館25、内外各方面の特設館20余、演芸館・奏楽堂・迎賓館の付属館、観光街・商店街、平和塔・噴水塔・装飾塔などが建設され来場者数は480万人を数えました。
この博覧会以後、日本は戦争拡大の道を進み、昭和15年(1940)開催される予定の東京でのオリンピックも中止されることとなりました。