戦後復興から高度成長へ
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2011年12月5日
焼失した名古屋市中心部。画面右手に焼け野原の中の大津通に面して松坂屋が見える。画面中央の広小路沿いには旧中央三井信託銀行ビルが焼け残っている。
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2011年12月5日
焼失した広小路納屋橋周辺(名古屋都市センター所蔵の原版をデジタルリマスター) 焦土と化した納屋橋周辺。焼け残った名古屋観光ホテルは米軍に接収された。
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2011年12月5日
栄町の闇市(名古屋市広報課所蔵の原版をデジタルリマスター) 名古屋の中心部も焼土と化し、焼跡などを不法に占拠してバラック建ての店を構えて 商売をする闇市があちこちで見られた。戦前の整然とした繁華街であった栄町周辺にも 闇市が...
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2011年12月5日
戦災を免れた松阪屋(名古屋都市センター所蔵の原版をデジタルリマスター) 戦災を免れた松阪屋。現在の久屋大通の周辺は、空襲で焼け野原となってしまった。画面中央遠方に見えるのは戦災を免れた県庁と市役所。
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2011年12月5日
天守台のみ残し焼失した名古屋城(名古屋市広報課所蔵の原版をデジタルリマスター) 昭和20年5月14日の名古屋空襲により、本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが焼失した。天守台のみが残された。
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2011年12月5日
名古屋駅前(昭和25年頃)-名古屋都市センター所蔵の原版をデジタルリマスター 敗戦の混乱もやっと収まり、復興にむけての動きが始まった。焼け野原だった駅前にも 家屋が建設され名古屋の陸の玄関としての体裁が整いはじめていた。写真...
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2011年12月5日
名古屋駅前(昭和20年代末)-名古屋都市センター所蔵の原版をデジタルリマスター 朝鮮戦争による特需は、日本経済は復興のはずみとなった。駅前の整備も本格的に軌道にのり ビルも建ち始め、整然とした町並みが戻りつつあった。
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2012年5月31日
名古屋駅前付近(昭和29年1月) 朝鮮特需は、日本経済は復興のはずみとなった。駅前の整備も本格的に軌道に乗りはじめた とはいえ、まだ空地もめだち民家と共存する現在では創造できない風景があった。
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2011年12月5日
戦後の復興もかなり進み、1953年9月に着工した日本で最初の集約電波塔である名古屋テレビ塔が、昭和29年6月に竣工した。車もさほど多くなく警官が交差点の中央で交通整理をしている。
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2011年12月5日
戦後の復興もかなり進み、1953年9月に着工した日本で最初の集約電波塔である名古屋テレビ塔が、昭和29年6月に竣工した。車もさほど多くなく警官が交差点の中央で交通整理をしている。