沢井鈴一の「俗名でたどる名古屋の町」第4講 おからねこから七本松 第6回「七本松」

七本松

ビルと民家の間にひっそりと奉られている白龍神社

ビルと民家の間にひっそりと奉られている白龍神社

昔は旅立つ人に贈る餞別のことを「馬の鼻向け」といった。この言葉からもわかるように、馬と旅とは切っても切れない関係にあった。大きな街道では、宿駅に馬を備えて旅人の便宜をはかった。 街道沿いには、旅に欠かせない馬の保護神として、馬頭観音が祀られていた。

馬頭観音は頭上に馬頭をいただいて忿怒の相をなした観世音菩薩だ。普通は三面であるが、二臂、八臂のものもある。 馬頭観音は道行く人を災難から守る神であり、他郷から旅人によって流行病が村に入ることを防ぐ神でもあった。

記念橋を渡り、鶴舞公園に向けて大須通りを歩いてゆく。二本目の道を南に曲がると、すぐ裏側に白龍神社がある。商売繁盛の神様として、名古屋では白龍神社を信仰している人は多い。 この神社には、白龍を上段に祀り、下段には馬頭観音が祀ってある。

江戸時代、前津から御器所、うつしの森(現在の高辻)から笠寺、そして鳴海へ通じる道があった。鳴海では東海道に合流する。 前津の坂を下った田圃の中の道端に、馬頭観音が祀られていた。土地の開発とともに道も町も様相が一変してしまった。古い道端の馬頭観音が、ここに合祀されている観音ではないだろうか。

右(上段)に白龍を、左(下段)に馬頭観音が奉られている

右(上段)に白龍を、左(下段)に馬頭観音が奉られている

道の祈願を祈るのが馬頭観音ならば、旅の目印となるものが七本松だ。今では町名と公園の名前、神社の名前として残っているだけだが、かつては路傍に大きな七本の松が空高くそびえていた。 横井也有は『前津七景』の中に七本松を路傍古松として、前津七景の中に選び、次のように記している。

路傍古松とは、世に七本松とよべり。あるは相生めきてたてるもあり。又程へだたりてみゆるもあり、染めぬ時雨のゆふべ、積る雪の朝のながめ殊に勝れたり。草薙の御剣のむかし話を追ひて、もし此七つを以て辛崎の一つにかへむといふ人ありとも、我は更におもひかへじ。

也有は、日本一の名松琵琶湖の辛崎の松に替えようという人があっても、自分はそんなことは少しも考えないと七本松に対する強い愛着の念を吐露している。 『猿猴庵日記』に次のような記述がある。

前津大池の東、汐川辺、七本松の内、立願奇湍有とて日夜共に、老若群衆、殊の外、繁盛ゆへ、商人なども多くでる。

この時の騒ぎを詠んだ狂歌が

七本の松に願が叶ふげな  あふいけあふいけと人はどんどん

「あふいけ」には、地名の「大池」と「それゆけ」の意がこめられている。

七本松に願をかければ、願いごとを叶えてくれる、それゆけ、それゆけと人々はおしかけ時ならぬ騒ぎが起こった。 この七本松も、年とともに枯れて三株だけになった。その三株も天保五年五月二十一日の夜に折れて二株となった。 残りの一株も大正二年に枯れてしまった。

大須通の千代田交差点から七本松通を望む

大須通の千代田交差点から七本松通を望む

地図


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