綿神社
綿神社は延長五年(九二七)醍醐天皇の命によって調査され、国の神社として指定された『延喜式』の神名帳にも載っている由緒ある神社である。『尾張名所図絵』には、綿は海の仮字で、昔はこの辺まで入海であったと記されている。
綿神社の綿は朝鮮語(pata)の海と同源で、綿の字は、あて字。入海であった志賀の地に海神を祀ったのが綿神社である。祭神は誉田別尊、玉依姫命、神功皇后の三神。玉依姫命は、綿津見神の女。海の神である綿津見神の女である玉依姫命を祀ってある所にも志賀の地が太古に入江であったことを物語っている。
『西春日井郡誌』によれば、慶長十七年(一六一二)六月二十八日再建の棟札があるという。
昭和二十年五月十四日の空襲によって全焼した綿神社は、明治百年の記念事業として、昭和四十五年十月十日に再建された。
地図
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