東高寺
曹洞宗、東高寺は元亀二年(一五七一)の創建である。本尊の薬師如来は、病難救済と安産加護の仏様として崇拝をうけている。聖徳太子が彫刻をされたものといわれている。薬師如来は、近江の国、志賀の里に安置されていて、かの地の人々の厚い信仰をうけていた。その薬師如来が、この地に来たことについては、次のような話が伝わっている。
志賀の里に東高坊という僧がいた。元亀二年、織田信長は、比叡山を焼打ちにしようと考えていた。東高坊の夢の中に、薬師如来が現れて「信長が焼打ちを考えている。私を安全な場所に移してくれ」と告げた。
東高坊は薬師如来を背負って、故郷の奥州田村郡三春の里へ旅立った。尾張の国、志賀の里に着いた時、疲れのために病気になってしまった。平手政秀の孫、平手桃庵は近在にきこえた薬師(くすし)であった。東高坊は、桃庵の手厚い看護をうけたが、治療のかいもなく元亀二年十月五日に五十三才で亡くなった。
桃庵は、東高坊を供養するため小堂を建立し、薬師如来を祭った。桃庵は仏門に入り、志賀薬師をお守りした。志賀薬師は、霊験あらたかな尊像として、人々の厚い信仰を今もうけている。
地図
より大きな地図で 沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」 を表示