沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第7講 下飯田の昔 第6回「清蓮寺」

清蓮寺

清蓮寺の背後には高層建築がそびえている

清蓮寺の背後には高層建築がそびえている

一本の道を隔てて、下飯田の町は様相を一変させる。道路の北側には高層建築がそびえている。南側には自動車が通ることができないような路地をはさんで、昔ながらの家並みが続いている。道の北側の地には、明治から大正にかけて田園地帯を埋めたてて建てられた紡績工場が並んでいた。紡績工場が下飯田の地から姿を消すとともに、その跡地に高層住宅が建てられた。

新しい都市空間の北側の地に比して、通りの南側は、昔ながらの仕舞屋が並ぶ。いかにも下町といったたたずまいの家並みが立ち並んでいる。狭い路地の両側に並ぶ黒塀、塀越しにみえる土蔵。路地を歩くことによって、むかしの下飯田のくらしが浮かんでくる。清蓮寺は、そんな下飯田むかしのくらしがうかがえる地の一画にそびえている寺だ。

清蓮寺 山門

清蓮寺 山門

清蓮寺は、永禄二年(一五五九)捜誉久玄大徳和尚によって創建された寺だ。延宝四年(一六七六)には、霊源和尚(黄蘗宗第九代管長)によって浄土宗より黄蘗宗に転宗した。

山門を入ると延命地蔵を祀った小堂がある。境内に入ると北側に、本尊の恵心僧都の作といわれる阿弥陀如来を祀った本堂がある。西側には千手観音菩薩、烏芻沙魔明王菩薩を祀った西堂がある。

山門そばの延命地蔵を祀った小堂

山門そばの延命地蔵を祀った小堂

境内西側の千手観音菩薩、烏芻沙魔明王菩薩を祀った西堂

境内西側の千手観音菩薩、烏芻沙魔明王菩薩を祀った西堂

地図


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