沢井鈴一の「名古屋の町探索紀行」第7講 下飯田の昔 第1回「川上絹布跡」

川上絹布跡

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文化のみち二葉館 名古屋市旧川上貞奴邸。 電力王 福沢桃介と日本の女優第1号である川上貞奴が共に暮らした旧邸宅。東二葉町から橦木町へと移築復元され文化施設として活用されている。川上絹布株式会社は東大曽根の六郷村(現在の上飯田)に設立された。

「ビョウキ スグキテホシイ」鏡台の前に座り、貞奴は福沢桃介からの電報をじっと見つめていた。名古屋に腰をすえて事業を始めた桃介は、これからの人生を共に歩むのは貞奴しかないと考え、舞台の上に立っている貞奴に、無理を承知で電報をうったのだ。

明治四十四年、夫の川上音二郎が亡くなった後も、貞奴は一座をきりもりし、全国巡業を続けていた。貞奴の人気は高く、どの地方の劇場にも彼女を見に大勢の客がおし寄せた。

貞奴は、電報を手にして、舞台を放棄し、すぐに名古屋の桃介のもとに走った。多くの人に愛される女優として生きるよりも、初恋の人、桃介と共に人生を歩いていこうと決心したのであった。

大正七年、二人は二葉町に住まいをかまえた。貞奴は、東大曽根の六郷村(現在の上飯田)に川上絹布株式会社を設立した。十五歳の時の出会いから三十年経って、始めてつかんだ貞奴の幸福であった。

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