火の用心をする不動尊─豪潮寺
一代の傑僧、豪潮の終焉の地が豪潮寺である。
豪潮寛海(一七四九~一八三五)は、肥後国、玉名郡山下村の生まれ。一食一菜の厳しい修行をつんだ天台宗の僧で、柳原長栄寺を開山した。文化十四年(一八一七)の春には、知多郡岩屋寺の住職もした。
肥後の国に隠栖していた豪潮が再び名古屋に来たのは、十代藩主斉朝の加持祈祷のためである。斉朝の病気も、名僧豪潮の祈祷により、すぐに治ったという。
豪潮寺には、二体の不動尊が祭られている。お堂の中に祭られているのが、木像の一願不動尊像である。この像には次のような伝説がある。明治の中ごろの話である。
美濃の御嶽教の修験者であった清覚の夢の中に一願不動があらわれて、「私は今、古道具の中でがらくたに囲まれている。私を道具屋から連れ出して、おまえのところに置きなさい」と言われた。
清覚は、翌日、さっそく古道具屋に行ってみると、夢の中で見た一願不動が店先にかざられている。だいじに前津小林町の御嶽教の教会に一願不動を持ち帰り、祭ったという。
境内に立っているのは、石の不動尊である。セメントで首の部分と腰の部分の二か所が修繕してある。顔のあたりも黒こげがある。戦災にあった跡がいたいたしい。
この不動尊は火伏せ不動として信仰を集めている。
「石のお不動さんも戦禍は免れずやけてしまった。しかし、お不動さんの目に届く範囲にあった十二、三軒の長屋だけは燃えずに残ったという。そのころからこのお不動さんは、防火不動尊として信仰を集めるようになった。」
『お地蔵さま見つけた』中日新聞社刊より
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