天狗ばやしのひびく―片山神社
『尾張名陽図会』は、片山神社を次のように記している。
これは蔵王権現なり。延喜内にして『本国帳』に従三位片山神社とあり。
ある記に、祭神安閑天皇なる由。蔵王権現は往古より在せりとあり。また言ふ、和州芳野山蔵王権現と御同体にて、天神二代国狭槌尊または瓊々杵尊とも言ふ。人皇四十代天武天皇の御宇、当国鎮護の神としてこの地に勧請ありし由をいへり。その砌に安閑帝を添へまつりしものにや。
また当社は芳野の桜の種をうつし、むかしは祈願の人数株の桜を献ぜしゆゑ、花盛りの頃は見事なりしといへり。殊にむかしは社境広大にして、今の片端辺山林の内なりし由。されば今この辺の屋敷に有る桜、いづれも当社の神木なるその桜の残りしなりといふ。
片山神社に吉野桜が植えられたのは寛文年間(一六六一~一六七一)のことである。竹腰家の家臣、吉田弥四郎によって植えられた吉野桜によって、この辺の町名も芳野町と呼ばれるようになった。
杉村、上飯田、下飯田の町名も片山神社に由来している。昔、神社の境内に太さ二囲に余る大きな杉の木がそびえていた。枝葉は繁茂し、長くたれていた。しかし、さすがの大木も寿命には勝てず枯れてしまった。枯れた枝木を五つの村にわけた。
東杉村、中杉村、西杉村であり、上の枝を与えられたのが上枝村、下の枝を与えられたのが下枝村である。上飯田、下飯田と呼ぶのは、上枝村、下枝村と言うのを誤って言ったものである。
秋の大祭には、片山神楽と呼ばれる夜神楽が奉納された。
神垣のすねて見ゆるは杉の木に
神楽太鼓のひびきなりけり
と歌われるほど夜神楽は、近隣になりひびいていた。
しかし、祭が終わっても神楽が片山神社の森から聞こえてきた。不思議に思って、森に近づくと神楽の音はやみ、太鼓の音だけが、ちがった所から聞こえてくる。
天狗がいたずらをしている。蔵王の森には天狗が住んでいると評判になった。
「江戸の神田のおはやし連中が、蔵王にわざわざ来て、てんぐの太鼓にあわせて練習して帰り、これが神田明神のおはやしになったと伝えられている」(生きている名古屋の坂道・岡本柳英)
片山神社の天狗ばやしは、全国的に広まった伝説である。
地図
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