母恋し―尼ケ坂・坊ケ坂
片山神社から御成道へ下る坂道を坊ケ坂、片山神社から西北へのびる坂を尼ケ坂という。
『感興漫筆』の中に、次のような一節がある。
むかしより坊が坂、あまが坂といふ処、変化の物出しよし、世の人言ひふらししが、今は都となり金城の光をうけ、春は苗代の水みどりに流れ、夏は夕涼に蛍狩、秋は名月清水にうつり、冬は野山の雪眼前なり。こは詩人のながめて、いづれの地か是にしかんや。
変化の物が出るとうわさされる坊ケ坂、尼ケ坂は昼でもうす暗い、気味の悪い所であった。辻斬りもよく出たという。雨の降る夜には男女の亡霊が出ると恐れられていた。狐や狸が男の子、女の子に化けて出るともいわれた。
文化年間(一八〇四~一八一八)のことである。
片山神社(蔵王権現)の近くに、権現小町と呼ばれる絶世の美女が住んでいた。美男の武士とわりない仲になった。二人の間に、男の子が生まれた。子供が生まれたにもかかわらず身分違いのために、二人は一緒になることができなかった。女は、武士にすてられ、尼となって子供とひっそりとくらしていた。
女は、前途をはかなみ権現の社の杉の枝につなをかけ首をくくって死んでしまった。
子供は母恋しさのあまり、毎夜、毎夜、母を探して歩きまわった。ある雨の夜、坂をまちがえ、北の坂に行き、疲れて死んでしまった。
母の死んだ坂を尼ケ坂、子供の死んだ坂を坊ケ坂という。
尼ケ坂は女坂、坊ケ坂は男坂である。
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