八人の王子を祭る―八王子神社
高力猿猴庵の『尾張年中行事絵抄』に、八王子社の祭礼の図が描かれている。
神前の御手洗池の中に高い台が建てられている。台の上には、山が作られ提灯が数多くかざられている。まばゆいほどの灯りだ。提灯には銀杏の葉がつけられている。八王子社に大きな銀杏の木があったので、それにちなんで絞所として用いられたのである。
町並のどの家にも神灯が飾られ、はなやかなものだ。人形からくりの石橋車という山車が一輌、通りをにぎやかに引かれていく。
現在のひっそりとした八王子神社からは想像もできないようなにぎわいである。二五二坪という広大な敷地の中にある、御手洗池に建てられた高い山、そこに飾られた提灯を見あげる多くの人々。八王子社の祭りは、尾張を代表する祭礼であった。
祭にけんかはつきもの。『金鱗九十九之塵』によれば、元文五年(一七四〇)に、次のような事件が起きた。
元文五年庚申六月一五日は当社八王子の祭礼也。あまたの桃灯ともしつらねて諸人群衆をなせり。今夜竹腰志摩守家中の何某、柳原より新道筋(御成通)を来りけるに、町中にてはたと某家の中間に行当りぬ。何某は町人成と見損じ、散々に呵りければ、此方もさすが御中間なれば、さまざま答て口論に及ぶ時、物な云せぞとて、一刀に切殺し、何某は直に立退たり。
八王子社の祭神は素盞鳴尊と天照大神との誓約によって生まれた八柱の神(五男三女)である。もともとは、名古屋村(名古屋城内)の亀尾天王社の地内に、若宮八幡宮ともに八王子社は三社で鎮座していた。慶長一五年(一六一〇)名古屋城を築城するにあたり、神社を他の地に遷座するくじを神前でひいた。くじの結果、若宮八幡宮は府南に移り、八王子社は志水に移ることになった。亀尾天王社だけが城内の三の丸に残った。
八王子社は子供の守り神として敬われていた。子供の守り神らしい伝説が『尾張名陽図会』に載っている。
むかしは神殿の扉も明はなしになりて有りし時代に、里童この正体を取り出して前なる御手洗の池にうづめ、さまざまにもてあそびしを、所の者よろしからずとて、これを禁じて戸を閉ぢたり。その夜俄に村中の人大勢病を煩ひ、我毎日子供等と面白く遊びしものを、何とてとどめたるぞと、口ばしりて止まず。人々甚だ恐れて元のごとくにせしかば、忽ち狂病なほりしとかや。
現在、八王子神社には、春日神社が合祀されている。
地図
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