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<蒲郡1>
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歌人 藤原俊成と竹島
この地と関わりの深い歌人 藤原俊成は、百人一首で有名な藤原定家の父であり、千載和歌集の選者としても知られています。久安元年(1145)から三河の国の国司を務め、温暖なこの地を気に入り開発したと伝えられています。竹島を眺めるように藤原俊成の銅像が建てられています。
戦国の動乱に翻弄された地
織田家と今川家が三河・尾張両国の覇権を争っていた時代には、蒲郡は松平家、鵜殿家ともに今川の勢力下に置かれていました。 。
しかし、今川義元が桶狭間で織田信長に討ち取られると、蒲郡の勢力地図は大きく塗り替えられ、今川義元の妹の子であった上ノ郷城主鵜殿長照を除く諸将は、織田信長と手を結んだ徳川家康の配下となり上ノ郷城を攻め落としました。
上ノ郷城はその後、徳川家康の生母・伝通院の再婚相手 久松俊勝、松平康元、池田輝政と城主が変わり、後に廃城となりました。現在、上ノ郷城跡の発掘作業が進められています。