旧稲武町に進むと郷土資料館「ちゅ~ま」がある。民俗資料や農具など稲武地域の人たちの生活を 垣間見る展示物が収蔵され、一般に無料で公開している。
黒田水力発電所を右手に見て飯田街道を稲武の中心部へ進む。真弓大橋西の交差点で旧飯田街道は、 国道153号線と分岐する。国道153号線沿いにある「道の駅どんぐりの里いなぶ」には、観光案内コーナーや 稲武温泉「どんぐりの湯」や近隣の特産品などを販売する売店があり、観光客でにぎわう。 国道の反対側にある龍光院は、15世紀末に創建された曹洞宗の寺院、裏山の参道には88本の弘法様の 石仏が祀られている。
道の駅の目の前の小高丘が武節城跡。空堀や蔵屋敷跡を見ながら山道を上ると、武節城の本丸跡に到着する。 武節城は、永正年間(1504-1520)に田峯城主菅沼定信によって築かれ、天正18年(1590) 最後の城主奥平信昌が 家康に従って関東に転封になり廃城となった。弘治2年(1556)11月、信州の下条氏に攻められ激しい 合戦の末落城した。城下には、姫が身を投げたという「姫井戸」の伝説がある。また、元亀2年 (1571)には武田信玄が2万5千の大軍で本格的な三河攻撃を開始、その途中にある武節城は戦わずして 落城した。天正3年(1575)には、長篠の戦いで敗れた武田勝頼が信州へ敗走の途中一泊したこともあるという。 (案内板解説より)武節城址石碑の後ろの物見台の上には、城山神社が鎮座している。
再び、真弓大橋西の交差点に戻り旧飯田街道に入る。 姫が身を投げたという「姫井戸」が、街道右手少し奥まったところにある。その先の街道沿いにある 大和屋は、木材や塩を扱う問屋として江戸時代から明治時代にかけて商いを行った、稲武でも ひときわ大きな旧家である。黒田川を渡り、街道を進むと秋葉常夜灯が右手にあり、その横の細い路地を 入ると古橋懐古館がある。この地の豪農古橋家が収集した幕末から維新期にかけてのコレクションを 展示している。瑞龍寺の境内には、樹齢370年余のしだれ桜が植えられており県天然記念物に指定 されている。
旧飯田街道の北、名倉川を渡った山すそにある、誓約神社と熊野神社の境内には農村舞台があり 豊田市農村舞台アートプロジェクトでの公演なども行われている。
地図
飯田街道-旧稲武町その1
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飯田街道-旧稲武町その2
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飯田街道-旧稲武町その3
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