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飯田街道-旧足助町その1
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飯田街道(国道153号線)を東に進み旧足助町へと入る。追分小学校まで来ると豊田から岡崎へ通じる足助街道の追分が見える。足助街道に沿って流れる足助川は、新城市と岡崎市の境にある巴山を源流として、矢作川に合流する。
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飯田街道-旧足助町その2
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足助の市街に入り、飯田街道は足助大橋西を過ぎたところで国道153号線と分岐足助の中心部へ進む。市街地に入る手前に大きな馬頭観音があり、その傍らの急斜面に芭蕉句碑が置かれている。馬頭観音の南西の 足助川の南岸には、足助八幡宮、足助神社、十王寺などがあり、現在は豊田市足助支所となっている旧足助役場の建物がある。香嵐渓の近くで秋の紅葉シーズンには、観光客でごったがえす。かって飯盛城のあった飯盛山は江戸時代の初期に、香積寺の三栄和尚が参道にカエデやスギの木を植えたのが始まりとされ、その後も住民による植栽でこの地方有数の紅葉の名所となっている。また、中山間部の農家の暮らしを再現したテーマパーク三州足助屋敷などもあり、一日楽しめる観光スポットにもなっている。
飯田街道は、馬頭観音を過ぎ橋を渡り左手に曲り、西町道標のところで再び左に曲がる。足助まちなみ案内所を左手に見て足助川を渡る、前方に普光寺の山門が見える、街道は新町で右手に曲がり東へ進む、マンリン書店横の細い路地は宗恩寺へ続く参道、石碑が建っている。平入り型の商家 田口家の前を過ぎ三嶋館、加東家が並ぶ。三嶋館は元は呉服屋であったが明治時代に入り旅館となった。加東家は幕末の三河最大の一揆といわれる加茂一揆で住民の標的となった。
加東家を過ぎたところで街道は枡形に左に折れ、右にまがる。左手の坂の上にある愛知県足助事務所の敷地は、江戸時代に足助屋敷のあった場所。天和元年(1681)に設置された。また昭和33年(1958)まで足助町の役場が置かれていた。右に曲がった、街道沿いにある中馬館は、稲橋銀行足助支店として建てられた。現在は、資料館として使用されている。川沿いに街道を進み国道153号線を横切るように東へ進み足助の町を離れ県道33号線を進む。
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飯田街道-旧足助町その3
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飯田街道は、豊田市立荻野小学校のところで左に曲がり県道33号線から県道366号線に入り竜岡、二多宮を通り千田へ向かう。途中には石仏群が点在しており、千田の道標の手前の玉野町には、三十三観音の里と書かれた看板の奥に三十三体の石仏が並んでいる。かっては往来する旅人を見守っていたことが偲ばれる。千田の道標のところで、街道は分岐し左手にまがり北上する。やがて国道153号線に合流、しばらく行った所で右に分岐、川沿いに国道と平行してしばらく進む。このあたりは、ありし日の中馬街道(飯田街道)を偲ばせる数小ないスポット、途中の神社の参道前には、案内板や石碑があり往時の街道のにぎわいを感じさせる。街道は、国道153号線と平行するように南北を通り明川へ進んでいる。明川町は、足助と稲武の中間に位置し、宿場として繁栄した。明川町の熊野神社の境内にある農村舞台は、足助地区に現存するなかでも最大のもの。江戸時代末期から大正時代にかけて地狂言(地歌舞伎)の公演を行った。明川を過ぎ、伊勢神トンネルの手前で、街道は国道153号線と分岐して中馬街道の難所伊勢神峠へと向かう。