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飯田街道 旧豊田市その1
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矢作川支流支流の伊保川にかかる大井橋を渡り保見町へ入る。室町時代から戦国時代にかけて保見町には伊保西城、伊保東城、伊保城があり、尾張と三河の接点にあたるこの地の防衛を担っていた。江戸時代中期以降は、飯田街道と瀬戸街道の分岐点に位置して宿場町としても繁栄した。(保見町自治区文参照)
伊保西城の北にある射穂神社(いぼじんじゃ)は、白鳳元年(672)の創建といわれる。愛知環状鉄道保見駅の南側にある伊保塚は、昔からいぼ塚の土をいぼにつけるといぼが取れると伝えられている。
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飯田街道 旧豊田市その2
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飯田街道を四郷町へ進むと、街道沿いに江戸時代の面影を偲ばせる浦野酒造の店舗があり、その先に常夜灯がおかれている。雲龍寺の山門前にある飯野八兵衛一揆の供養塔は、宝暦2年(1752)に、年貢の減免を江戸の藩屋敷まで行き訴え打ち首になった、飯野八兵衛ら6名の業績をたたえた供養塔。現在も供養のお祭りが行われている。
北に向うと、県道349号線沿いに国指定文化財に指定されている舞木廃寺塔跡が ある。指定地域には搭の心礎一個と心礎の周囲に礎石の可能性を持つ石三個が存在している。原位置のまま心礎を持つものは少なく、大変貴重な存在である。出土した瓦等の遺物から白鳳時代(7世紀後半の大化改新から8世紀初め)の寺院と考えられる。(豊田市教育委員会解説文より)
東海環状自動車道の高架を過ぎた水田のなかに、御船を外堀として築城された平城、御船城跡の石碑が建っている。
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飯田街道 旧豊田市その3
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枝下町まで行くと、飯田街道は矢作川に沿うように進む。矢作川にかかる猿投グリーンロードの高架の西にわくわく広場があり、廃線前に名鉄三河線(1928-2004)しだれ駅があった場所で、ホームが残されている。線路の東側の矢作川に沿って飯田街道があり、両枝橋の南側の枝下の渡しで対岸に渡った。
矢作川を渡り力石町へ向かう。豊田市中金町地にある岩倉神社農村舞台は、江戸時代後期、文化5年(1808)の建立。間口8間、奥行5間の豊田市内では一番大きな舞台。廻り舞台も備えている。(豊田市教育委員会解説文より)
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飯田街道 旧豊田市その4
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足助街道(旧道)・飯田街道追分の手前、野口町にある埜神社の境内には、童謡作家・野口雨情の先祖ゆかりの地と刻まれた石碑がある。街道の南の丘の上にある増慶寺を通り過ぎ足助方面へ向かう。