名古屋城二之丸庭園発掘現場説明会(2015,10)

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名古屋城二之丸庭園現場説明会 2015年10月
名古屋城二之丸庭園現場説明会 2015年10月

2015年10月16・17日二之丸庭園発掘現場説明会が行われました。学芸員の説明により発掘調査された遺構を一般見学者が側近で見学することができる貴重な時間を過ごしました。

説明会概要

二之丸庭園の山の一部の復元が進み、今度は池の部分の復元も始まりますので、池の状況の確認のための発掘調査を行っています。現在、権現山の南にある北園池が現在は分断されていますが、東側に広がっていると推定して池の広がりを確認することが、今回の調査の1つの目的になっています。

明治時代の初めに名古屋城内に陸軍の施設が建てられました。発掘現場のレンガの基礎は、兵舎を建設するためのものです。しかし、建設にあたっては基礎の部分以外は、江戸時代の遺構は大きくは壊されませんでした。二之丸域は空襲の焼失をまぬがれましたので、戦後も建物は残され名古屋大学の施設として使用されていました。今回発掘された地域は学生寮として戦後も使用されていました。大きく変わったのは昭和48年に火事によって焼失した時でした。レンガの基礎に囲まれた中にある大きな穴は、焼失時の残骸のガレキなどを埋めるために掘られました。昭和50年に行われた調査で確認された池の跡を、今回改めて調査したところ深く掘られた部分は明治20年代に兵舎を建設するために、江戸時代の池の一部を埋め立てて新しく造られたことがわかりました。赤いテープで囲われた部分までが江戸時代の池の部分と考えています。二之丸庭園の絵図では池の部分が青く描かれ水が入った状態になっており、今回の調査でも水が漏れない工夫がされています。水をひいて常時池に水があったかというとそうとは言えませんが、必要な時には井戸等から水を汲んでいたのではないかと思われます。

江戸時代には二之丸庭園のなかには6~7の茶室がありました。今年度はこのなかの2つの茶室の調査を行っています。茶室(よほう)については、江戸時代のものと確実に特定できる遺構は発見されませんでしたが、茶室と推定される場所の南側に手洗い鉢(手水鉢)と推定される遺構が発見されました。

昨年度は 権現山の一部を復元しましたが、今年度は権現山の階段の部分の復元と権現山の西にある栄螺山(さざえやま)の削られた部分の復元を計画しています。一番象徴的な権現山の階段の部分が復元されるので楽しんでいただけると考えています。

写真-名古屋城二之丸庭園現場説明会

  • 北園東調査区と権現山

    北園東調査区と権現山

  • 茶室遺構(写真手前右)

    茶室遺構(写真手前右)

  • 茶室遺構

    茶室遺構

  • 茶室手水鉢(推定)

    茶室手水鉢(推定)

  • 陸軍兵舎礎石

    陸軍兵舎礎石

  • 昭和48年火災後に掘られた穴

    昭和48年火災後に掘られた穴

  • 池(明治時代部分)

    池(明治時代部分)

  • 池(明治時代部分)

    池(明治時代部分)

  • テープで示された江戸時代池部分

    テープで示された江戸時代池部分

  • テープで示された江戸時代池部分

    テープで示された江戸時代池部分

  • 池と陸軍兵舎境界

    池と陸軍兵舎境界

  • 発掘現場説明会風景

    発掘現場説明会風景

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